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小山田氏へ 虐められる人が一番苦しい、弱くて加担する人は罪悪感を抱え続け、止めた人は一生誇りに思い続ける。

 オリンピックの曲を作成した小山田氏の過去のいじめによる中止について、私は何も知らない。詳細はくだらなすぎて読んでいない。興味がない。顔も知らない糞野郎だと思う。

 いじめをした過去がない人がどのくらいいるだろうか。多くは被害者であり、加害者であるはずだ。私は胸を張って言える、いじめをしたことがない、と。いじめを止めてクラスで孤立したことはある。高校二年生の時だ。住職をしているおじいさん先生がいじめられた子の対応をしたが、先生はなにもしなかった。そして、次の年、教師をやめた。

 いじめについて、私はこう思う。いじめをした人は5流の人生を送り続けるだろう。いじめられた子は自分がいじめるようになり最悪な状態になるか、絶対にいじめしない人になるだろう。そしていじめを止めた人は、その後もいじめを止め続ける「最高の人生」を送り続けるだろう。自己保身のため見て見ぬふりをしていた人は加担した人と同じだ。

 私は野球部だった。そして学級委員をしていた。田舎から1時間ほどかけて高校に通ったため、毎日、6時20分ほどにバスに乗り、朝学をした。遅刻すれば野球部の先生に叱られた。家が貧乏で授業料は払えなかった。野球部の焼肉も行けなかった。高校2年の時、もう限界だ、退学しようと思った。野球部であり、どうでもいいチャラい奴なんて怖いとも思わなかった。でも退学よりも野球部を退部し陸上部に転部することを選んでから、私も標的になった。

 だが私は今でも、外国人や精神疾病者や不登校児を支援するNPOやボランティアをし、田舎者だと馬鹿にされていたがエコの人になり、戦争体験の聞き書きをしている。あの時、いじめた奴はカスになっているだろう。いや、まともな大人になって、悔やみ続けていることを祈る。

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