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繊細で優しくて・・・不登校

 
 はじめまして。しまです。公立中学校の非常勤講師(美術)をしています。私には息子が二人(高二、小六)いますが、不登校を経験した上の息子についてお話ししようと思います。

 教職についていて、学校や不登校のことは知識があっても、親としては初めての一大事。間違った対応をし、傷ついた息子を、さらに傷つけてしまいました。
 そのことを忘れてはいけないし、今、不登校で悩んでいる保護者の方にも読んでもらいたくて、書きました。
 また、学校現場を知っているからこそ、不登校の中でも出来たことがあるので、少しは役に立つこともお伝えできると思います。

息子の異変


 息子が中学生になり、私はすっかり油断していました。もう、思春期。親は見守るくらいで・・・と。

 真面目な息子は、中学校生活も一生懸命取り組んでいました。
 少し異変が感じられたのは、中一の後半あたりから・・・。腹痛が多くなっていったのです。

 
元々、お腹が弱く、小さい頃からよく下したり吐いたりする子でした。小学生の時は、毎年クラス替えのストレスで5月ごろ自家中毒になり、点滴するのが恒例。感じやすく、優しすぎる性格の子です。

 しかし、今回の腹痛は自家中毒とは違う。病院に行けば、「風邪がお腹にきたのかなあ」と言われて、整腸剤をもらうだけ。
 徐々に欠席が多くなり、担任の先生も心配して、電話をくれました。
「何かありますか?」
 と聞かれても、私にも分からない。息子に聞いても別に大丈夫、という。この頃、漠然とした不安が常に胸にありました。

 今思えば、中学校での生活に適応するために、神経を張り詰めていたのでしょう。中一は、クラスの雰囲気、メンバーも良く、そちらのストレスは無かったので、怒鳴る顧問や先生がいる、忙しくて規律が厳しい中学校生活そのものへのストレスだったのかもしれません。

暗黒の始まり 

 中二になり、クラス替えがありました。息子は、仲が良い子たちとは、ほとんど一緒になれなかった・・・と、残念そうにしていました。
 前年度の最後に、全員、クラス一緒になりたい子、なりたくない子を聞かれたけど、全く反映されなかったようです。そう・・・、一見、誰とでも仲良くなれる、手のかからない目こぼしにされる生徒。それが息子。先生もこの時点では息子のことはノーチェックだったんでしょうね。

 それから、帰宅する息子の目が少しずつ暗くなって、笑顔がなくなってきました。私は一抹の不安を感じつつも、
「思春期だから、無愛想なんだろう。」「中学生男子なんてこんなもん。」
 とも、思っていました。なんという節穴!今となれば、この時から始まっていたんです。息子の苦しみは・・・。

 徐々に、朝になると腹痛でトイレに篭るようになり、やがてそれが毎日のようになりました。息子は、過敏性腸症候群を発症していました。
 朝、私も出勤しなければならないし、欠席か、遅刻かの連絡を学校に入れなくてはならない。加えて、学校へは行くものだ、という考えが頭の中に居座っていたので、時計を見ながらイライラしてトイレの前で怒鳴ります。
「行くの?!行かないの?!」
 我ながら最悪でした。
 後ろ髪を引かれながら出勤し、途中何度か安否確認の電話を入れ、夕方、帰ってくると、白い顔で布団に丸まっている息子。
 可哀想で、不甲斐なくて、勉強のことや受験のことを考えると焦るし、息子がどうしてこうなっているのかも分からず、パニック状態です。
 もちろん、聞きましたよ。何度も。全ての手段で。強く聞いても、優しく聞いても、息子は原因を言いませんでした。

何にも知らないくせに!

 宿泊学習が近づいてきた初夏。息子はますます体調が悪く、学校に行けなくなっていました。宿泊学習には行く、と言ったけど、朝になると腹痛でトイレから出られない。

 その日私は焦っていました。先生から、
「今日の5時間目に事前指導の学年集会があるから、宿泊に参加するなら出ないと・・・」
という電話があったのです。その日も息子は朝、腹痛でトイレに篭っていました。
 昼過ぎ、勤務先から大急ぎで帰ってきて、布団を被る息子に、
「早く制服を着なさい!今から連れて行けば間に合うから!」
 布団を引っぺがそうとする私と息子の攻防・・・地獄のようだと思い、私も息子も泣きました。

 その時、息子が叫んだ言葉が、
「何にも知らないくせに!」
 私は、カッとして言い返しました。
「知らないよ!聞いても教えてくれないんだもの!何があったか教えてよ!」

 息子は、クラスの陰険なグループが、息子の父親についての根も葉もない噂を流していることや、味方を装って近づいてきたこと。廊下ですれ違う時に「死ね」と言われたり、嘲笑されること。自分がされるのも嫌だけど、友達がされてるのを見たりするのはもっと辛いことを話してくれました。

 私に話せなかったのは、自分のことじゃなくて、父親が変な噂を流されていることを知ったら傷つくと思って、自分が我慢すればいいと思ったから。このことパパには絶対言わないで、と・・・。
 しかも、こんな目に遭っているのに、誰にされたのか、については絶対に言いません。本当は悪い子じゃない、怒られたらかわいそう・・・など、私からしたら耳を疑う仏発言です。

 今まで散々怒鳴ったり責めたことを思い返して、なんてかわいそうなことをしてしまったのだろうと、胸が潰れる思いでした。一連の自分の最悪さにゾッとしますが、当時は必死だったんです。

決断

 その後、一度も事前指導や係の話し合いに行かないまま、宿泊学習当日を迎えました。息子は決意した表情で、大きなバックを持って出発。最後まで参加して帰ってきました。その時の写真を、息子は決して見ようとしません。

 その後、息子は、
「このクラスの間は学校に行かない。」
 という決断をします。

 陰険なグループが、息子を仲間に引き入れようと、大人しい女の子の明らかにウソの噂を息子に話してきて、「ヤバくね?」と同意を求めてきたときに、うっかり「ヤバいね」と言ってしまった。息子は、同意してしまった自分を責め、こんなことになるならもう行かない!と、決めたというのです。     

 息子の考えは正しい。そんなおかしな場所に行かなくていい、と、私も夫も、その決断を支持しました。
 不登校の初期に誰もが通るであろう「行くの行かないのバトル」は、約3ヶ月で終了しました。

 とは言え、この後も息子の葛藤、学習のサポートなど、まだまだ奮闘は続きます。
 長くなりますが、お付き合いいただけたらうれしいです。


 






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