2024/3/16 チェロレッスン

2週連続レッスンだった。
勝手にレッスン室へ上がり、チューニングする間に先生がいらした。挨拶をしたらすぐ「曲、みてきた?」とおっしゃる。
「はい! 曲をお願いします」
先生と一緒に弾けるなんて、レッスンも本番も関係なく、もはやごほうびである。エチュードのときに「分散和音にはまってないよ~」とベース音を弾いてくださることもあるが、それは話が別なのだ。
3楽章からなるチェロ二重奏、頭からゆっくりと、一緒に演奏した。
すぐに止まる。ボウイングが噛み合わないのだ。
「あなたのどんな風に書いてある?」
前回先生がくださった楽譜に書いてあるボウイングの通りに練習してきたのだが、なんと先生は1週間の間に、あーでもないこーでもないとボウイングを考えてくださっていたらしい。や、やさしい……週明けから演奏旅行(?)に行ってしまわれるのに……!
「あなたの分を全部は書いてないけど、こっち見て弾いてごらん」
先生の譜面と交換して、また頭から弾いていく。
途中でとめて「どう、弾きにくいところはある?」と聞かれたので、何か言わなきゃ! と乏しい頭で考えた。もっと色々とアンテナを張って弾ければよいのだが、ボウイングが変わって必死だった。
「弾きにくいといいますか、5小節目の先生が出た後に同じ形で出るところなんですけど」
「うんうん、ここね」
「先生が一緒に弾いてるところのボウイングに合わせてアップから出てますけど、最初の音の形に似てるので、同じようにダウンで出たくなっちゃいます」
「ボウイングが逆になったりは……大丈夫そうだね。よっし、じゃあその前から繋げてやってみよう」
2つのパターンで弾いてみた。
「あなたの言った方が、立派に出られていいね。そうしようそうしよう。僕が出た後、あなたもちゃんと出ないとだからね」
意見を検討してくださり、しかもそれが受け入れられ、快く変更くださったことに驚いてしまった。
というのも、なんとなく、先生のつけたボウイングに異を唱えるのにはためらいがあったのだ。幼少期に習っていたバイオリンでは意見を聞かれたこともなく(まぁ意見もなかったのだが)、言われるがままに弾いていたからかもしれない。
10年ちょいの社会人生活でも、部長経験のあるOBなどに「ほんとにそうですか? こっちが合ってると思いますー」などと言った翌日、上司から「OBさんから、シマさんは礼儀がなってない。お客さまの前でも何かするんじゃないかって言われたんだけど……」などと曖昧なフィードバックをいただいたことがあるからかもしれない。そのOBは当時65歳くらいなので、現在アラ古希の先生と同年代である。
余計な口をはさまず、先生を信仰するレベルで教えを吸収しようというスタンスだったのだが、考えた上での意見はアリらしい。
というか先生は人が良くていらして、しかも幼少期から同じ方たちと長ーいことつきあっているのである。しかも、留学してたときにボロクソ言われたー、というような失敗談を、あっけらかんと話せる方である。
先生のプライドは「より良い音楽を演奏する」という一点にあり、そのためならば私にすら、意見を求めるのだなぁ……と再び尊敬の念を深めてしまった。
そのあとは、先生が切っているところでは私が繋げて小節レベルでの最適化をしたり、構成を鑑みて「こっちはこう弾いたから、そことは違うように弾こう」といった全体の最適化をするようにボウイングを見直していった。
先生の音楽の一端を垣間見たような気がして、とてもつたない感想だが、感激した。
シンプルな曲なので、先生の左手が指板に吸い付くようにピタッとはまる様子がよくわかるし、音そのもののすごさを改めて感じることができて、これまたつたない感想だが、素直に「よかった……」と思えた。
いつもはエチュードばかりだが、この日のレッスンで室内楽への欲求が高まってしまった。優先事項を再検討する時期に入ってきたのかもしれない。

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