2024/4/29 チェロレッスン

先生のお父様が使用してらしたドイツ製のオールドが、修理から戻ってきたんだーと、ハコ以外(ネックもバスバーも駒もなにもかも)を交換したからか少し硬く、パワフルな音色を聞かせていただいてレッスンが始まった。
ドッツァウアー67は、トリルが遅くてやり直しになった。それじゃトリルじゃなくて三連符だよ~、とのご指摘をいただく。先生の前で何度も練習するも、なかなかスピードアップできない。
トリルがなんたるかをわからず、テンポには問題ないつもりだった……あな悔し。
続くドッツァウアー68では、弓の持ち方を直していただいた。中指が棒に巻き付いており、人差し指が深く入りすぎなのという。
そのあとは30分ばかりボウイングの練習をした。指板よりに弾くクセがあるため、駒スレスレで大きな音を出す。
先生から、よく「もっと大きな音で」と言われるが、手の形の安定性、弓の角度、弾く位置……力以外の様々なパラメータが音量と密接に絡み合っていることが、よーくわかった。
音色についても教わったが、先生が弾いてくださったラロがわかりやすかった。ちゃんと駒寄りで大きく弾いた音、大きいけど駒寄りではない音。
「どう?」
「音そのものの圧? が、全く違ってました……」
「そうだねー。駒寄りにしないと、オケに負けちゃうよね。傍で聞けばまだしも、大ホールでは届かないだろうし」
部屋に飾られている写真が目に入った。東西ドイツ統合直後のコンサートのゲネで、先生がロストロの代理で演奏したときの写真である。
先生が何気なくおっしゃることの一つ一つに、蓄積された経験の厚みを感じてしまう。
「技術の引き出しさえあれば、あなたは表現したいときにこうやったら弾ける、ということがわかるはずだよ。後は、自分の音がお客さんに届いている音をしっかりイメージできるといいね。これは違うなってことがわかれば、どんどん音楽性が増していくからね」
先生と出会って、そろそろ3年。習い始めてからは2年半になろうとしている。以前ならエチュードをやっているときに音楽性の話はほとんど出てこなかったし、その他にも様々な点で、レッスンの内容が濃くなってきているように思う(インフレにも関わらず、レッスン代は据え置きだけど……)。
先生は既に、喜寿を超えた。いつまでも元気でいてほしいが、いつレッスンどころでなくなってもおかしくない年齢だ。
そして一方の私自身、何があるかはわからない。
今さらだが、レッスンというお互いの時間を共有する行為は、ものすごく貴重なものなのだと再認識した。
今まで以上に、先生の言葉を噛みしめながらレッスンの時間を大切にしていこうと思う。
などとレッスンの振り返りを書くたび「ウワーーー先生が好きだ~~!!!」と泣きそうになるの、情緒が安定してなくてヤバいかもしれん。

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