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声に出すと涙が出る

何か辛いことがあったとき、何かもやもやと引っ掛かることがあったとき、頭の中で押さえ込まずに声に出して他人に伝えた瞬間に涙が出ることがある。

今日はそんな日になった。

・・・

久々に数少ない友人と話をした。

彼女は今日誕生日らしく、とても自然に年齢の話になった。聞いてみたら、彼女は高校卒業後すぐに大学に入った年齢だった。

私は彼女より年上。高校卒業の年齢から闘病に数年かけて、今アメリカで大学生をしている。そのことを彼女に伝えたことはなかった。伝える機会も必要もなかった。

ただ、今日そのときが来た。


彼女が私の年齢を当てようとする会話になった。

アジア系の顔は若く見えるのもあるからか、彼女が言ってくる数字は若い。「上だよ、もう少し」と何度か伝えて答えに辿り着いたとき、彼女は少し驚いて「え、若く見える!」と笑顔で言った。

ここで彼女が何かを考え始める顔をした。指を使い数えている姿をみて、高校卒業の年齢から計算し始めたらしいと気付いた。20代は計算できる範囲だから無理もない。


彼女が考えている数秒間で、
私は彼女に病気のことを伝える決断をした。


・・・

鬱病が良くなってきてから出会った友人に、出会う以前の病気のことを伝えるのは初めてだった。

心の動揺を抑えて、表情と声に出ないように平静を装って、伝えた。


高校を卒業してないこと、メンタルヘルスで色々あって闘病していたから年齢に差があること。


ふわっと伝えただけだけど、初めてこれらの情報を英語にして声に出した。彼女に話しながら、なぜか心が痛くなった。

彼女の反応はいつもと変わらず、さらっと受け止めて、今は元気なの?と心配した顔で聞いてきた。うん、今は元気になってるよ、と伝えた。

・・・

家に帰ってから、彼女との会話を繰り返し思い出すことが止まらなくなった。脳内では勝手に会話と映像がリプレイされる。

これは良くないなと思い、noteに起こった事実だけを書いてみた。

客観的に読むと、割と普通の会話だ。思い出してみても何も変なことは言ってないし、相手の反応も特に変ではない。

では、何が気になって、繰り返し思い出してしまうのか。


考えた結果、私自身がこの数年の差を許せていないのかもしれない、という結論に至った。

私の感覚では、自分を許せないという感情はこの数年で消せたと思っていた。自分を認めて褒めて好きになることで鬱病から離れることができたと思っていた。

ただ、数年の差を声に出して事実として改めて認識した瞬間に心は痛くなる。身体は正直だ。

・・・

ここまでnoteに書いてもモヤが消えないから、私はこの思考を母親に話した。

秒で涙が出た。

この涙は不思議で、泣き顔になるわけでもなく、ただポロポロとずっと流れ続ける。会話を続けていても、勝手に流れて頬をつたって落ちていく。


私はきっとまだ、心の底からこの闘病の数年を認められていない。

人に話しても涙が出ないようになったとき、この数年を心から認められたと言えるのかもしれない。


そんな日がくるのかは分からないけど、とりあえず、今日は涙を流すことにした。

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