普通の人

高校の時、部活仲間でファミレスに集まった。先輩の卒部祝いだった。
着ていく服が思いつかず、気の置けない先輩だしお祝いの気持ちさえあればそれでいいだろうと、いつもの練習着を着ていった。私以外は全員、いつもより綺麗でおしゃれな服を着ていた。
その時の先輩の、呆れたような困惑したような、そして悲しそうな顔が忘れられない。
何回も考えてやっと、あの時の先輩は私の恰好を見て、「お祝いの気持ちがない」と感じたのだろう、という結論に至った。
また間違えた、と思った。

こういうことを何度繰り返してきただろう。
常識とか、みんなが感覚でわかるものが全くわからない。これをやったら周りがどう思うかの予測は全くできないのに、人の表情とか声色から感情を読み取るのだけはちょっとうまくて、いつもやらかしてから周りの反応で間違えたことに気づく。自分が恥ずかしい人間だということを自覚しては、どうにかしようとした。

鏡を見るのが嫌いだった。いや、それどころかほとんど鏡を見ずに過ごしていた。
自分の姿かたちを自覚するのが嫌だった。
片目だけ二重なのも、片腕だけでほくろが10個以上あるのも、左右で眉の形が違うのも、笑顔がぐちゃぐちゃなのも、歯並びが悪くて前歯が一本だけ飛び出てるのも、姿勢とか歩き方が変なのも。
自分がいびつな生き物だっていう証拠を積み重ねられているようで、嫌だった。
普通の人になりたかった。
ちゃんとした、普通の人になりたかった。
毎日ちゃんと髪を乾かしてて、毎日ムダ毛の処理をしてて、決まった時間に寝て起きて、ラインも溜めずにすぐに返せて、洗濯物をベランダに干して、うっかり忘れ物をしなくて、色んな料理がうまくできて、料理の後はさっとお皿洗いができて、TPOをわきまえてて、毎日夢のために努力してて、自分で納得できるくらい絵がうまくて、人に対して怒ることがなくて、いつも体調と機嫌が良くて、家族と仲が良くて、人に寄り添いつつ論理的に自分の考えを説明できて、人が傷つく言葉を言わなくて、かける言葉と選択を間違えない、ちゃんとした、普通の人に。

普通の人じゃなくて、それは理想の自分じゃんと言ってもらって、そうか、と思った。

足るを知る、というのを目標にしていきたい。
欠点だと思ってたものを魅力だと思いたい。
片目だけ二重なのも、ほくろがいっぱいあるのも、笑顔がぐちゃぐちゃなのも。
時々ムダ毛がのこっていても、お皿洗いが嫌いでも、家族を他人だと思ってても。
歪んだところだって私の歴史で、それを含めて私なのだ。
歪みを愛している自分はきっと、美しいと思うのだ。私自身がそう言う人のことをすごく美しいと思うから。
もし変って言われても「そこが私のかわいいとこなんじゃん。わかってないなあ」って思いたい。

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