ゲームの初見プレイに強いこだわりを持っている話


1.はじめに

あらゆるコンテンツが飽和して消費し切れないほど溢れている現代。
そんな現代において、タイパ(タイムパフォーマンス)を重視したコンテンツの楽しみ方も一般的になってきたように感じます。
youtubeの動画を倍速視聴したり、事前に作品の概要をネットで調べて自分に合いそうな作品だけを選定してから視聴したり。
こういった楽しみ方はかけた時間に対するパフォーマンスが高く、溢れ返ったコンテンツの中から自分に合ったものを効率よく消費できるため、流行するのも当然と言えるかもしれません。

そんな中、一人用のゲームはそもそもクリアするまでに時間がかかる時点で、動画・映画・アニメ・漫画のような媒体と比べてタイパが悪いと言えます。
実際に遊んでみたらクソゲーで得るものがなかった…なんて事になったら時間効率は最悪でしょう。
さらに、クリアするまで外部の情報を遮断して楽しむ「初見プレイ」は効率とは真逆の遊び方で、時代の流れに逆行していると言えるかもしれません。

これは、そんな「初見プレイ」にいまだに強いこだわりを持って遊んでいるゲーム大好きおじさんの独り言です。

2.自分自身の力だけで向き合ってよいという喜び

タイパ重視の考え方は、コンテンツを消費するだけに留まりません。
私はお絵描きを趣味にしているのですが、「効率よく最短で絵が上手くなる方法」のような講座動画が溢れ返っています。
何かを消費するだけでなく、何かを産み出す側にもタイパ重視の考え方は浸透していると感じます。
(その良し悪しについては懐疑的な目で見ていますが…)
趣味だけでなく仕事も昔に比べて効率化が求められていますし、もはや世の中そのものがタイパ重視の思考に染まっているとも言えます。

そんな中、初見プレイという遊び方はタイパの悪い、非効率な遊び方です。
でも、逆に考えてみてください。
「どれだけ非効率に遊んでも誰にも文句を言われない遊び方」なんだと。

趣味でも仕事でも何か問題にぶつかった時には、自分の中で延々と思考を繰り返して時間をかけて答えを導き出す前に、調べたり勉強して外部の知恵を取り入れた方がよい場合が多いでしょう。
その方が効率がよいからです。
幸いな事にネット上には必要な情報が溢れ返っていますし、有識者にコンタクトを取る事も容易になっています。
しかし、「今の自分自身の力だけで問題に挑み解決してみたい」という欲求がある人は少なくないのではないでしょうか。

初見プレイは、外部の情報を一切遮断して自分自身がゲームと向き合う遊び方です。
攻略サイトを見るなんてもっての他です。
当然、クリアまでの道程は手探りで非効率なものになるでしょう。
でも、それを「やってもいい」んです。
どれだけ非効率だろうが、自身の感性・知識・技術を総動員して、ゲームの世界と向き合い、一歩ずつ理解を深めてゆく。
誰にも頼らず自身の力でその一歩を進めた時の達成感は、格別なものであると断言できます。
どれだけ遅々とした歩みでも、自身の力だけで乗り越える喜び。
それをこのタイパが求められる現代で、味わう事ができるのです。

3.誰のものでもない、自分だけの感動

タイパ重視の楽しみ方として、作品の概要を先に調べる楽しみ方があると述べましたが、これはゲームでも可能です。
攻略サイトを見て、先の展開や攻略情報を仕入れた上で挑むのです。
もちろん効率的に進める事はできると思いますが、これにより失う事もあると思っています。
それは「自分だけの、初見の感動」です。
…あまりにもそのまま過ぎますね。

ここでひとつ、私の初見プレイの体験談を語らせてください。
ゲームのタイトルは「ダークソウル3」。
ダークな世界観と美麗なグラフィックが魅力の、高難易度アクションRPGです。

このゲームには「王たちの化身」というラスボスが登場します。
戦う舞台は初代ダークソウルを彷彿とさせる場所。
そこで待ち構えているこのラスボスは、一切言葉を発する事なく無言で襲い掛かってきます。

初見プレイの時、私は回復アイテムをがぶ飲みしながら何とか粘るものの、敗れてしまいました。
戦闘に必死で気づいていなかったのですが、リスポーン地点に戻り落ち着いた私はある事に気付きます。
「あれ、このラスボスの動き、どこかでめちゃくちゃ見た事あるぞ…?」

その気づきを抱えたままラスボスと再戦した私は確信します。
「こいつの動き、初代ダークソウルのプレイヤーのモーションそのものだ…!!」
見た事があって当然でした。
かつて遊びまくった初代ダークソウルで、自身が操作していたキャラの動きだったのですから。
モーションだけではありません。
ディレイを織り交ぜた直剣による苛烈な連続攻撃、華麗なローリングを駆使した曲剣のヒットアンドアウェイ、強力な魔術による遠距離攻撃と大剣による接近戦、槍と奇跡による堅実な立ち回り…
全て、初代ダークソウルでプレイヤー達の間で流行していた強い戦法そのものだったのです。

2度目の挑戦に破れリスポーン地点に戻った私の脳内で、断片的な情報が繋ぎ合わさって行きます。
・ラスボスの動きは初代ダークソウルのプレイヤーそのもの。
・ダークソウルという作品は、最終的にプレイヤーが「薪の王」となり、自身を薪として燃やして世界に光をもたらす物語(厳密に言うと色々あるけど一旦そういう事にしといてください)
・ラスボスの名前は「王たちの化身」

…つまりこのラスボスの正体は、過去のダークソウルシリーズで「薪の王」として世界の火を継いできたプレイヤー達そのものって事なのか…!?
この事実に気付いた瞬間、言い表せない感情と共に震えました。
かつて初代ダークソウルを遊びまくっていた自分自身が、かつて初代ダークソウルをクリアして薪の王となった全てのプレイヤー達が、シリーズ最終作のラスボスとして待っていた訳です。
「ダークソウル3は王殺しの物語」。
その真意が明確に判明した瞬間でした。

もちろん考察サイトを見れば、王たちの化身が「かつての薪の王達」である事は簡単に調べられます。
もしそれで事実を知っても、ある程度の感動はあったと思います。
しかし、外部の情報を遮断して初見プレイを楽しんでいた私の目の前に現れたのは、一切のナレーションもセリフもなく、いきなり襲い掛かってくるラスボスでした。
そう、このラストバトルは完全に無言なのです。
それでも、初代ダークソウルを彷彿とさせる舞台に王たちの化身という名前、かつてのプレイヤーそのものの動き…これらのゲームから感じ取った要素だけで、事実に気付くには十分でした。
私自身が一人でダークソウルというゲームと向き合い続けてきた最後に待っていた伏線回収であり、数あるゲーム体験の中でも最高の一つだったと思っています。

もちろん、ここに至るまでにはとんでもない時間を費やしています。
元々アクションゲームが下手なので、初代ダークソウルをクリアした時には300時間を超えていました。
ダークソウル3も慣れていたとは言え、100時間を超えています。
そんな何百時間もかけて辿り着いたこの結末に、私は「初見プレイを貫き通してよかった」と思っています。
誰かの感想や正しい情報を調べて楽しむなら、クリアしてからでもできます。
この瞬間の感動は、どれだけの時間を費やしたとしても初見プレイでしか絶対に味わえない、自分だけの感動だったと思っています。

※ドラクエ11の感動の話もしたかったけど、それはまたいつかの機会に…

4.だからと言って初見プレイにこだわる必要はない

これだけ初見プレイの素晴らしさを語っておきながらアレですが、「私が初見プレイ大好き」と言うだけで、この楽しみ方を万人に広めたいかと言われればそうとは思いません。

一つ目の理由として、初見プレイとは真逆のタイパ重視の楽しみ方が十分に価値のある楽しみ方だと思っているからです。
SNSの発達により他者とのコミュニケーションの敷居は一気に下がりました。
そのため多くの人と同じ趣味の話で盛り上がりたい等、コミュニケーションを目的としたゲームの楽しみ方も全然アリだと思っており、その場合はタイパ重視でゲームの内容を理解する事に非常に意味があるからです。
事前に調べた所で、実際にゲームをプレイしたら楽しいですからね。
これは子供時代の話なのですが、私は持ってないゲームの攻略本だけ買って、内容を読んであたかもプレイしたかのように会話に混ざった経験があります。
小学生でゲームそのものを買うお金がなかったのでタイパとは違うかもしれませんが、私自身も身に覚えがあるな…となりました。

二つ目の理由は、初見の感動を味わうためにはある程度ハードルがある、という事です。
私はそれなりに長い事生きた事によって、作品の要素が「過去の自分の経験に何かしらヒットする」事が多く、これが作品と自分自身が向き合った時に楽しめる要素の一つなんだと思っています。
しかし子供時代を思い返してみると、当時はネットがなく簡単に調べる事はできなかったものの、攻略本を買う事に一切の抵抗はなく平気でクリア前に攻略情報を見まくっていました。
今思えば、当時は自分自身の中に積み上げたものが少ないからゲームから得られる感動も少なく、だったら調べちゃおうみたいな。
これは別に、若い人は感動する力が少ないと言いたい訳ではありません。
むしろ逆に、今の若い人にしか感じられない感動もたくさんあると思います。
とは言え、自身の感動ポイントに触れる作品とそうでない作品は必ず存在すると思うので、すべてのゲームを無理して初見プレイする必要はないよな…と。
私も対戦ゲームに関しては「初見の感動」よりも「効率よく勝ちたい欲」が圧倒的に勝るので、どんどん調べちゃいますしね。

5.おわりに

昔から初見プレイに対して人より強いこだわりを持っている自覚はあったので、一度言語化してみようと思い書いてみました。

こんな時代だからこそのあえての初見プレイ。
効率化の波に晒され続けて現代を生きる皆様も、騙されたと思って一度初見プレイをやってみませんか?

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