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Officeは自然現象

 GAFAは自然現象というツイートをしているひとがいて、いたく共感した。確かに、大規模システムは最終的にその姿を自然現象に似せるのだという気がする。

 GAFAが自然現象に似ているというのはこれら企業のインフラとしての側面に注目した物言いだと思うが、それとは別の意味で、ぼくはMicrosoftの製品群に自然現象っぽさを感じている。「そこには意図などなく、ただ全てがある」からだ。アスファルトで舗装された道はその先に何かが存在することを示唆するが、鬱蒼と生い茂る森はそんな保証をしない。Microsoft製品は人工物でありながら、舗装道路を離れて森に近づいているように思える。

 ためしにWordで説明してみよう。Wordはテキストエディタに求められる機能をすべて備えている。機能の一覧表を作成したら、Wordに勝てるソフトウェアはそうないだろう。しかし皆がそれを自在に活用しているかというと、そんなことはない。
 これは十徳ナイフの悲劇みたいなものだ。ナイフ、のこぎり、栓抜き、ワインのコルク抜きにハサミとドライバー。これらを同時にすべて必要とする人はいない。同様に、文字にカッコいい反射や影を付ける機能と、VBAでマクロを組む機能と、印刷時の余白をmm単位で調整する機能と、文章にHTMLオブジェクトを挿入する機能と、3Dの等高線グラフを作成する機能を同時に必要とする人もいない。しかしそんな人間の事情に関係なく、機能はただツールバーの中にみっしりと詰まっている。

 Wordが自然現象だというのはこういうことで、人間がそれを必要とするかしないかにかかわらず、ただそこに膨大さが存在する。地球人がダイソン球を構築できないばかりに太陽エネルギーをほとんど無駄にしているのと同じで、Wordの機能もほとんど無駄になっているのだ。「デカすぎて人類からみるとほとんど無駄になっている」のが自然っぽさだ、と先の説明を言い換えてみてもいいかもしれない。ExcelでもPowerpointでも、このような事情はほとんど変わらない。

 このようなOffice製品で「仕事ができる」ようになることは、ある場所の土地勘を身につけることに近い。タクシー運転手が地元の通りを知り尽くしているように、Office戦士はツールバーのどこになんの機能があるか、それにはどのショートカットキーでアクセスできるのかを知らねばならない。人はOfficeの星のもとに産まれ、「書式だけコピー」のショートカットキーがCtrl + Shift + Cであることを覚え、そして死んでゆく。
 

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