見出し画像

曽祖母の話(死んでから何度も来た話)

私の父方の曽祖母は、私が20歳の時98歳で死んだ。

ひいばあちゃんが、自分が成人する時まで生きていたというのはちょっと現代では珍しいかもしれない。私の生まれた家は田舎で、長男でずっと続いてきた一族の本家だからたまたま若い親ばかりで続いたこともあると思う。

そんな生家の家業は専業農家で広い土地があり一族経営で、祖父母、父母は私が生まれても仕事仕事で、3歳になって、当時祖父が理事長を務めていた地元の保育園に入るまではこの曽祖母が私を育ててくれていたようなものだった。私が生まれた時すでに80歳近かったけどとても元気だった。戦争を生き抜いた昔の女性である。

また、信心深い人でもあった。

エピソードとして、まずその日の明朝、私の枕元の携帯電話がなった。なんだろうと電話に出ると、切れた。着信履歴を見ても、なぜか履歴が無い。おかしいなと思っているとまた鳴った。今度は実家の固定電話からだった。出ると、私の父親が出て「大きいおばあちゃん、死んだでのん」といった。

その三日後。

私は家を出て就職した会社の寮にいたのだが、葬儀などの関係で会社を休んでいてその寮の自室でうたた寝をしていた。すると玄関のドアが開く音がして、次に居間の引き戸がガラと開く音がした。「誰か帰ってきたのかな。でも、こんな平日の昼間に?」居間の奥の襖を開けると私の自室であった。なので、帰ってきたその誰かはこの襖一枚のすぐ向こうにいる。

居間のテレビがついたので、襖を開けた。

「おかえり。会社どうしたの、早退?」とでも聞こうとしたが言葉が出なかった。誰もいなかった。

玄関のドアの鍵も閉まっていて、玄関から居間に入る引き戸も閉まっていた。

その夜。寮生も帰ってきて全員揃って、団欒も終えてそれぞれの部屋へ引き上げていったあと、また居間の引き戸が開いた音がした。そして、テレビがついた。

その後すぐにまた居間の引き戸が開いた音がして、

「きゃあああああああああーーーっ!!」と、寮生の一人の叫び声が聞こえたので慌てて襖を開けると、座り込んだ悲鳴の主の寮生が泣きそうな顔で私を見たので「どうしたの!?」と問うと

「誰もいない・・・」と、怯えていた。

居間の引き戸があいて、テレビがついたのでまた集合したのかと思ってきたら誰もいなかった、、一瞬で、戸の閉まった音がしてないのに自分が戸を開けたことを気づいた時フッと悪寒が走って悲鳴を上げてしまったそうだ。

(えっそんなに怖いかな?)と、悲鳴をあげるほどかな?と私は思ったが黙っておいた。おばあちゃんかなと過ったからだ。


初七日

母親に、「大きいおばあちゃんはひろちゃんのこと大好きだったから、お葬式に出られないならあっちからひろちゃんが見えないように眉毛を落としておきなさいね」と言われていたので、(そのとき仕事の都合で、私はお通夜しか出なかった。父母ではなく祖父母でもなく曾祖母だったため、自分の意思で葬儀を優先しなかった)私は眉毛を全部抜いた。さすがにまゆなしのままではコワイのでブラシで形だけは描いておいた。(こういうことを普通に疑いもなくするような家に育っています。)

その夜耳鳴りがして金縛りにあうと、暗い大きな屋敷の中に死んだおばあちゃんと一緒に私はいた。屋敷は洋館のようで、大きな建物だが部屋の仕切りなどはなくただ広い部屋が一つだけだったが、まるで二階や三階があるかのような窓の数と位置だった。そして、その窓達から見える外は青空が明るく輝き、草原の緑が綺麗で心地良さそうな風が時折吹いているようだった。遠くに一本大きな樹があったのが見えたが、他に生き物や建物などはなかった。

おばあちゃんは黒く影のようで、鼻や口元は見えるのだが目元は見えなく、私よりも痩せて背も小さかった。実際もそうだったがこの時は亡くなった時の姿よりもまたひとまわり小さく思えた。私の左側にしがみついて、「ひろちゃん。あの窓から外に行こうよ」と、言ったり、「ひろちゃん。あのドアから表へ出よう。ここは暗いから」などと言った。

「うん、行こう」私はそう答えたけど、窓やドアにはガラスが入っておらず、出ようと思えばどこからでも出れるはずだと思うのだが、なぜか見えないバリアでもあるかのようにどこからも出れずに、私は困ってしまった。そうしているうちにふと(もしかしておばあちゃんの目が私から見えないのは、私の眉毛がないから?だから、おばあちゃんからは私が見えないの?)と思いついてしまった。

と同時に「ひろちゃん・・・・」と、聞こえ、私は汗だくで目覚めた。動悸がすごかった。

49日

私の日記には「大きいおばあちゃんが、きた。49日だ」と書いてあるが、具体的にどういうふうにきたのか書いていなく、また、忘れてしまって覚えていない。

一回忌

49日と同じ。

3回忌。

私は法事で生家へ帰省していた。夕方だったと思うが、台所の東側の廊下の先には、行き止まりの正面に洗面台、その左横がトイレ、手前がお風呂、洗面台に向かって壁を挟んで右が、曽祖母が住んで亡くなった曽祖母の部屋である。

その洗面台の前におばあちゃんがいた。

逆光で、こんなに光って眩しくないのが不思議なくらいの後光というのか、金色のというかシャンパンゴールドというのか、後光もちょっと違うかも?おばあちゃん自体が発光してとても綺麗だった。草履を脱いで足元に揃えてあって、少し宙に浮いていて、その足袋は真っ白で、何かうすピンクのようなうす紫のような着物姿で、お腹の前で手を組んで私を見ると深々とお辞儀をして消えた。。おばあちゃんは98歳で亡くなったけど、この時のおばあちゃんは40歳くらいに見えた。多分、多分だけどおばあちゃんの「人間の体」だった頃の一番きれいな時の姿なんじゃないかなあ、と、ずっと後で思った。

毎日お寺に参って、お墓に参って、仏壇に朝晩のお勤め、とても信心深い人だったけれど

律儀に死んだ日、三日、七日、49日、1回忌、3回忌と毎回出てきた・・・



それからは、会ってない。

そして2年くらい前、「姿は見えないんだけど天上のものたちの声が聞こえる」女性にこの話をしたら、少し時間をおいて、

「生前おばあさんは色々自分の思い通りにならないと気が済まないというか、色々自分の思い通りにしてきた人だったから、あなたを連れていこうとしたみたいだね。悪気はないよ」と言ったので、

(優しかったし怒られた記憶もない、気が強いとかそんな感じの人ではないけどなあ)と思いながら後日、祖母に曽祖母の思い出を聞くと

「若い頃はおおきいおばあちゃん(曽祖母)はものすごく我が強くて、ばあちゃん(祖母)は生まれたばかりの息子(父)と自殺を考えたほど あのばあさんには嫁いびりされたよ」※()は私から見た続柄

だそうで。


以前に書いた母方の祖父もそうだったけど、私が知ってる彼らはもうだいぶ人生の終盤で、丸くなったり体力がなくなって動けなかったりで気持ち優しくなってたんでしょうね。それと、孫ひ孫に対するそれが優しかったということもあるだろう。

死んだ人が光ってるというのはこの後も何度か見ますが、その話はまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?