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Archive02 映画コラム(大谷直子)

お墓づくり第2弾。
前回のArchive01が音楽関係だったので、今回は映画コラムにしようと思う。

これは確か1997年ごろ、『ザ・ヒットマガジン』という三和出版の月刊誌に連載させてもらったもの。たまたま自分と同じく日本映画好きの同世代の編集者O氏がいたことから実現した。ちなみに川島雄三監督の名作『洲崎パラダイス  赤信号』は彼に教えてもらった。

この「私が愛した映画女優」の1回目は水野久美、2回目が秋吉久美子、3回目が芦川いづみ、5回目が夏目雅子、6回目が梶芽衣子だった。

連載はまだ続くはずだったが、自分が倒れて田舎に強制送還されたため、残念ながら5回で終了してしまった。

私の愛した映画女優
そノ四・大谷直子
決して派手ではない。奔放でもない。 しかし、じっと黙って見つめるその瞳の奥は、燃えさかっている。その炎が男を焼き尽くす時、女は「魔性」と呼ばれる。

「魔性の女」という言葉で、あなたはどのような女性を想像するだろうか。
 たとえばひところ騒がれた葉月里緒菜のような男から男へと渡り歩く、“恋多き女”だろうか。それとも、誰とでも寝る奔放で淫乱な女だろうか。
 しかし、本当の「魔性の女」とは、そういう女ではない。むしろ一見、物静かでおとなしそうに見える女こそが、男を狂わせ、破滅へと導いてゆくのだ。たとえば、大谷直子が演じてきた女のように。
 『ツィゴイネルワイゼン』(‘80年・シネマ・プラセット)で彼女が扮するのは、旅先で会った芸者に生き写し」の女だ。決して派手ではなく、口数も少ない貞淑な妻であるはずの彼女の瞳の奥は、しかし「何か」を強烈に訴える。その「何か」に、夫(原田芳雄)は囚われ、惨死する。その夫の友人(藤田敏八) もまた、彼女の虜になりかけるが、あやうい所で脱する。が、その際に大谷直子から発せられる色気は、もはやこの世のものではない。
『やくざ絶唱』(‘70年・大映)における、やくざ(勝新太郎)の妹・あかねもまた、一見真面目な女子高生である。だがあかねは、肉親としては異常な愛情を自分に注ぐ兄から逃れるためとはいえ、知り合ったばかりで大して好きでもない教師 (川津祐介)相手に処女を捨て、さらに結婚を迫る田村正和に「私が欲しかったら、兄を殺して。できないのなら帰って」と言い放ち、兄と二人きりになると「お兄ちゃんが好きだから、お兄ちゃんを殺してあたしも死ぬ」と、ナイフで兄に襲いかかる。その情熱の強さに兄は負け、挙句にはヤクザに殺されてしまうが、これもつまりは妹を女として、愛しすぎたがゆえに、その「魔性」に取り込まれてしまった死なのだ。彼女を愛する田村正和も、やがては同じ運命を辿ることだろう。
 思えば高校在学中のデビュー作『肉弾』(‘68年・ATG=肉弾をつくる会) から、大谷直子は”魔性の女”だった。セーラー服におさげ髪の清純そうな外見とは裏腹に、寺田農の目の前で自ら裸をさらし、一夜を共にした。一兵卒の寺田はまさに「俺は君のために死ねる!」と叫び、死んで行ったのだ。
あなたの周りにいる、一見“普通”の女こそ、「魔性の女」かも知れない…

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