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伊達政保「現在につづく昭和40年代激動文化(ラジカルチャー)」を読む

伊達さんは、ずっと謎の人だった。

最初にお見かけしたのは2013年の7月、バンド仲間の「ふさおさん」こと堀江繁伸の追悼イベント「ふさおさん大感謝祭」だったと思う。彼ゆかりのバンドやユニットがいろいろ出演して、自分も「AOSABA」「SUKIYAKA」「うにげ・さびら」という3バンドで出させてもらったが、唯一ひとりだけ、「スピーチ」という形で参加していたのが伊達さんだった。

そのときは、ふさおさんや渋さ知らズの関係者で、物書きの人なんだろうなというぐらいの知識しかなかったが、場内が騒然とするなか、ふさおさんについて一生懸命話していた姿が印象的で、自分も以前ライターの端くれだったことから、ああ、こういう場では物書きは不利だなあと思ったことを覚えている。

AOSABAはこのときが初ライブで、その後いろんな場所でライブをやるようになるが、伊達さんはそうした場所に毎回のように、しかも一番乗りで来てくれるのである。これには本当に驚いた。AOSABAは渋さ知らズのワークショップから派生したバンドで、そのワークショップにはふさおさんも参加していたので、伊達さんと縁があるといえばあるが、なにせできたばかりの、へったぴな「ど」アマチュアバンドである。当然、客がほとんど集まらないときもあるのだが、そんなライブでも必ずアーミーグリーンの服に身を包んだ伊達さんの姿があった。いろいろとお忙しいだろうに、なぜ足を運んでくださるのかわからなかった(実は今でもわからない)。

その後、少しずつ伊達さんの情報が自分の耳にも入るようになった。渋さのツアーには、たとえ外国であっても同行するとか、かつて「切腹」したことがあるらしいとか、平岡正明あたりとも知り合いだったとか、「全冷中」のメンバーだったとか、錦糸町の河内音頭盆踊りのスタッフでもあるとか、etc…。

なかでも一番驚いたのは、やはり「切腹」だった。切腹といえば自分の世代は市ヶ谷の自衛隊総監室で割腹した三島由紀夫を連想するが、見る限り右翼でもなさそうな伊達さんがなぜ?  しかも、その切腹が行われたのはおそらく1970年代の若かりし頃だろうと勝手に思っていたら、この本の著者略歴ではなんと1984年、34歳のことだったという。(ついでに言えば、東京都職員でありながら割と頻繁に外国行って支援活動などをやっているのも謎……)

まあそうした謎がいろいろあったのと、自分と伊達さんの政治や社会に対する考え方が似ている気がしたので、いろんなことを教えていただきたいなとかねてから思っていた。のだが、自分は酒が飲めないし、伊達さんといろいろ話したい人もたくさんいそうなので、打ち上げの席でゆっくり、というわけにもいかない。渋さ知らズのライブに行けば必ず会えることもわかってはいるが、自分は貧乏なのでそうそう観に行けない。もちろん、自分も渋さが魅力的なバンドであることはよくわかっているのだが、それだけにあまり近いと影響を受けすぎてしまうので、ある程度距離を置きたいという気持ちも多分にある。

ではせめて、伊達さんの著書を読めないだろうかと思って世田谷区図書館に検索をかけたら、この本「現在につづく昭和40年代激動文化(ラジカルチャー)」(汎世書房)だけがあったのだ。

内容は、1997年から2011年までの14年間にわたり、図書新聞に連載した「カルチャー・オン・ザ・ウェッジ―激動文化論」と、『ミュージック・マガジン』のライターでもある伊達さんがソウルフラワー・ユニオンや渋さ知らズ、平岡正明などについて書いた文章に分かれている(本書の刊行は2012年で、図書新聞の連載は現在も継続中)。

一読して感じ入ったのは、伊達さんはあの竹中労や足立正生らの系譜に連なる正統の活動家である、ということだ。「活動家」と言うと爆弾犯人みたいな、銭湯に写真入りポスターが飾られているみたいなイメージがあるので「運動家」としたほうがいいのかもしれないが、自分としてはやはり活動家と言いたい。

実は自分も高校生の頃、そうした存在に憧れたことがあった。何がきっかけだったかは忘れたが、当時大ファンだったYMOの坂本龍一が新宿高校時代に学生運動をやっていたことに影響されたのかもしれない。また、「全共闘グラフィティ」という全共闘の写真集が発売されたり、今はなき池袋の文芸地下で全共闘の記録映画が上映されたりして、ちょっとした全共闘ブームだったこともあったのだろう。当時、吉本隆明の「共同幻想論」という哲学書が初めて文庫化され、うんうんと頭を抱えながら数ページずつ読んでいたので、そうした反体制的な気分が醸成されていたのだと思う。おかげで高校の卒業文集の寄せ書きに「帝大解体、造反有理」などという恥ずかしい文句まで書いてしまった。

ところが、大学に入った途端、そうした幻想はあっけなく打ち砕かれた。入学式の後、友達と学内をウロウロしていたら、ヘルメットをかぶった二人連れの男がやってきた。もう35年以上前のことなので、具体的に彼らがどんなことを言っていたのかは忘れてしまったが、おそらく、「現在の資本主義体制はいろんな意味で間違っている。君たちも我々と一緒に社会主義国家を目指して活動しないか」みたいな話をしたのだろう。そこまではふんふん、まあ考えてみますというリアクションだったと思うのだが、次に男が言った一言で自分は目が覚めた。「まず手始めに我々の発行する新聞を買ってくれないか」……今までさんざん資本主義を批判しておきながら、結局は金かよ。自分はそう思い、実際にそういう言葉を口にしたかもしれない。それに対して男たちがどんな返答をしたのか、もう覚えていないが、とにかく「もういいよ」と思ったことだけはよく覚えている。

それは、まさに伊達さんが切腹したのと同じ年、1984年のことだった。

伊達さんはこの本の中で、全共闘運動と、それ以前の60年安保から続いてきた全学連、そしてそれ以後の連合赤軍との違いを何度も繰り返し説明している。つまり全共闘運動とは、組織の言うことを忠実に実行するのではなく、極端に言えば一人一党の自由な精神で、緩やかに連帯する運動だったと。

自分は全共闘運動の実態を知らないので、それが本当なのかどうか確かめるすべはないが、残されている新宿騒乱(10.21国際反戦デー)などの記録映像や文献などを見ると、確かに組織主導ではなく、個のエネルギーが大量に集まって爆発したような印象がある。とにかく子供の頃から、年上の人間に上から目線で偉そうに言われることが大嫌いだった自分としては、そうした自由さやアナーキーさに憧れたんだろう(ついでに言えば、昔読んだ筒井康隆の短編「新宿祭」や、大島渚の「新宿泥棒日記」の影響もあるかもしれない)。

1965年生まれの自分にとって、リアルタイムでこうした「学生たちの反乱」を意識した最初は、1972年、7歳のときに起きた連合赤軍による「あさま山荘事件」である。この事件はテレビで延々と生中継されたこともあり、同時代のほとんどの日本人が衝撃を受けたと思う。この事件以後も日本国内外でさまざまな活動(闘争)を続けてきた伊達さんは、このあさま山荘事件が学生運動の終焉を決定づけたという後世の評価に対して異を唱えているが、少なくとも多くの日本人にとって、民間人を人質にしたこの事件が運動へのシンパシーを著しく損なったことは確かだと思う。

そして、このあさま山荘事件に続いて小学生の自分に強烈な印象を残したのが、伊達さんも本書で触れている、1974年の東アジア反日武装戦線による三菱重工ビル爆破事件だった。これは戦後のテロ事件としては、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けば最大の被害者数(8人死亡、385人重軽傷)で、当時かなり大々的に報じられたことを覚えている。ただ、地下鉄サリン事件が不特定多数を狙った無差別殺人だったのに対し、東アジア反日武装戦線がやったことは、この三菱重工ビル爆破事件も、その後の一連の爆破事件も、特定の企業・施設を狙った犯行である。これは今で言えば、福島第一原発事故を引き起こした東京電力や、安倍政権と癒着して巨大な利益を上げている電通の本社ビルを爆破するようなものである。もちろん犯罪なので自分も奨励はしないが、巨大権力や大企業への対抗措置としては、現在でもこの方法は有効ではないかと思う。もちろん当時と今ではセキュリティが比べ物にならないほど厳重になってはいるだろうが、社内に協力者さえいれば、決して不可能ではない。逆にいえば、現在、東アジア反日武装戦線のような活動グループがいないことが、政府や大企業をつけあがらせているともいえるだろう。

……と、ここまでは狭義の「運動」についてだけ触れたが、本書で取り上げているのはそうした政治的・社会的事件だけでなく、音楽・演劇・映画・本(小説・評論・ノンフィクション)と、サブカルチャー全般にわたる(漫画の割合が少ないけど)。しかも伊達さんのユニークなところは、あらゆる文化はこうした運動の側面も兼ね備えている(それがすなわち「ラジカルチャー」)と主張しているところだ。それを自分なりに解釈すれば、あらゆる文化はその時代に起こったさまざまな社会の動きに影響されているので、それぞれの作品をそのジャンルの枠の中で個別に取り出して論じるのではなく、時代背景や世の中の動きと関連して捉えないと意味がない、ということだろうか。

それともうひとつ、伊達さんはあくまで「現場主義」を貫いていることが素晴らしいと思う。いわゆる評論家は、文字面とかの二次的要素で物事を捉えがちだが、伊達さんは70歳を過ぎた今でも毎日のように音楽や演劇のライブに足を運んでいる。その志と行動力たるや、20代の若者でもかくやという程で、生来怠け者で出不精な自分には到底真似ができない。

少なくともあと20年は長生きしていただき、いつか、政治・社会・文化を包摂した、壮大な「日本革命論」を書き上げていただきたいと思う。

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