見出し画像

ポップスの歌詞と男女観

『いつでもスマイルしようね 深刻ぶった女はキレイじゃないから』
という歌詞がもはや刷り込み、というポストがSNSで流れてきたのを目にしました。

私はあんまりテレビを見ない方なので、そんなCMあった気もするなと思いながら歌詞を調べてみたのですが。

『可愛くスマイルしててね 町中にキミを見せびらかすから』
からの、とどめに
『子供じゃないならね』
(スマイル 作詞:渡辺真)

良い女ならめんどくさいこと言わずにいつも男のために笑顔でいてね、って歌詞ですねぇ、確かに。
作詞者も男性ですが、まぁまともな女性なら『深刻ぶった女はキレイじゃない』なんて発想はそもそも出てこない訳で。
物事を深刻に考えられない人間の方が問題ですよね。
敢えて女性とは書きません、人間と書きますが。

どうでもいいんですが、お馬鹿なくらいがかわいい、の実は、自分を立てるようにお馬鹿でいて欲しい=頭使って欲しいんですよね。
そこのところを分かっているのかいないのか。

いや世の家庭の大半が女性も働かないと回らないこの時代に男性を立てる意味がどこにあるのかって話なんですけど、それはまた別の話として。

あ、念のため主張しておきますと、私はフェミ思想ではないし(女性ならではの考え方はあるでしょうが)激しいフェミ活動の方々は苦手です。
男性と女性でかなり特性が違う以上、まったく同じ扱いは難しいと思っている方で、それは not差別but区別 な訳で(なんで英語)。
性別だけじゃなく、個人の特性や資質も加味するのが世の中における“平等”だとは思いますが、これもまた別の話。

さて、冒頭の歌詞のポストを見て、握手系女子アイドルグループの歌詞も気持ち悪いのが多いんだよなぁと思い出しました。
代表格、アザトカワイイ(作詞:秋元康)。
あざとさは媚びじゃなくて処世術、みたいな話を人気元アナウンサーが言ってましたが、この曲に関してはそうじゃない方の使われ方でしょう。

そりゃ男子も男性も喜びますよね、都合の良い女性像を可愛らしい女の子達が見せてくるんだから。
“可愛らしい”女の子達、ここ重要。

あとは、 失恋ありがとう(作詞:秋元康) 辺りも。
冒頭の『失恋、ありがとう』
この段階では、歌詞の主である女の子はフリーな訳で、安心してファンでいられる訳ですよね。
でもこの歌詞を見てると、聴衆の目線は“自分じゃない”男性を好きな女の子、を見ているようには思えないんですよね。
ラストは『失恋、バカ野郎 忘れられるわけない 本当は、本当は 今でも大好きだ』
完全に聴衆に向かって言っている体=好かれてるのは自分と。
今でも大好き、なんて他の男性に向かってファンの前で叫ばないですもんね普通。
絶妙に男性の優越感をくすぐってくるというか、最初と最後で設定?前提?をずらしてくるのが巧妙というか気持ち悪いというか。

まぁ、どちらにしてもおっさんの作詞。
ここ2年ほどはろくにテレビを見ていなかった私の記憶なのでどちらも少し前の曲ですが。

男性作詞はもとより、女性が作詞した曲にしてもそこまで大きな違いはないでしょう。
おっさんが力を持ってる世界で表に出てくるには、ある程度おっさんに気に入られるものを書かなきゃならないってことで。

ちょうど数日前に、昭和は不倫ソングが多くあったなんてコラムもどこかで読んだんですが。

調べたらラジオだったんですね、リンクは貼ったもののいつまで記事として残るのかな。

別に男性の妄想を繰り広げる分にはどうでも良いのです。
でも、テレビなんて影響力のある(…今どのくらい影響力あるんだろう)媒体で、令和になってもこれがポップスとして流れる恐ろしさ。
ましてちやほやされるアイドルなんて存在となると、女子にも影響を与えるのは必至。

あざとくかわいく振舞っていればそれでいい、と影響を受けやすいティーンが無意識に刷り込まれてしまわないか。
それが存在価値で存在意義、とも取れる表現は、おっさんの無意識的な(いや無意識であって欲しい)価値観の反映です。
カワイイ、を価値としたとして、20代後半や30代になったらその価値は暴落すると、10代の時点で気づける女子がどれだけいるか。

これはテレビのこちら側の女子だけでなく、おっさんの作った問題の歌詞を、その可愛らしさに乗せて発信するアイドルにも言えることです。
若さとかわいさを多額のお金(おっさんの)に変換して多少のお金を貰い、若さがなくなった頃に同じ世界で生きていける子が何人いるか。
自分の将来を考えて能力(この場合、ダンスやお芝居、教養等でしょうか)向上にも力を注げる子はどれだけいるか。
それこそがつまり賢さでしょうが、そもそも賢くてその世界に飛び込む子の方が少数派のような(偏見?)。
承認欲求を餌にした搾取の構図、というのは言い過ぎでしょうか。

あ、己の価値が落ちる前に相応の収入のある相手を捕まえるというのも現実世界としてはあるんでしょうけど、余計な摩擦を生む話題なので置いておくとして。

自己満足としてのカワイイ、は別に良いというか、むしろ重要なものだとは思います。
ただ、カワイイ、が女子にとって至上の価値になってしまうのは怖い。
手元の端末ひとつでいくらでも時間を潰せてしまうこの時代は、賢くならなくても娯楽を得られる世界です。
頭の中身など、内面を磨く努力をし続けるのは自制心が要ることです。

そもそも、若さや媚びに社会的価値がおかれるのはアジアの特定の地域くらい…という話になるとまた脱線するのでやめておきましょう。

さて、日本最大の男性アイドル事務所だって異性に媚を売るのは同じだろうとよく引き合いに出されますが、これはある点で決定的に違うと感じます。
(逆に共通する点も多々あるとは思います、そもそもidol=ご都合な偶像だし。)
男性アイドルは、“個人”に価値が置かれる傾向にありますが、女性アイドルの価値は8割がかわいさと若さです(割合は適当に言ってるだけ)。
もちろん男性でも女性でも長年追い掛ける人は存在するでしょうが、40歳くらいになった時点で“アイドルの固定ファン”として残っている数の差は想像に難くないでしょう。
いえ知りませんけど、データ見た訳でもないので(やっぱり適当)。

いえ個人的には30代後半くらいになったらアイドルじゃなくて別の職業名をつけてあげたら良いと思うんですけどね。
良い年してキラキラアイドルなんてきついものがあるし(石が飛んできそうな発言)、後進にも場を譲ってあげて欲しいし。
一度大量のファンをつけたらそのまま運用し続けた方が事務所に利が大きいのも分かりますけど。

ガラスの十代が過ぎて少しした頃に、依然圧倒的な人気があったにも関わらず解散した某グループくらいがアイドルの理想形だと思っているのは私の個人的な意見ですが、えぇ。
グループそのものが好きになってしまったら解散して欲しくなくなるのも分かりますけど。

またしても脱線しましたが。
まぁ、流行歌(古)が価値観の刷り込みに繋がるのなんて今に始まったことじゃありません。
発信力のある人間がジェンダーばりばりな内容を世に放ち続けるのは困ったものですね。
ジェンダー観を植え付けようと作ったんじゃなくて(と思いたい)、異性に対する願望を詰め込んだ結果であるとはいえ。

いや願望が同じ属性の人間の熱狂に繋がり、熱狂が利益に繋がるのは当たり前ですけど。
宝塚は女性の思う憧れの男性像故に沼にはまると怖いし、ネットで男性を釣りやすいのは圧倒的に本物の女性よりネカマだし。

…それ同列に語っちゃうのって今自分でも思いましたすみません。

つらつら書きましたが、いつでも(って言うと語弊はあるけど)笑顔を意識すること自体はむしろ良いことなんですよね。
周囲(男性に、じゃない)に良い印象は与えられるし、口角が上がることで脳が今幸せ!と認識してストレスは減る(という説がある)し。
いわゆる顔面フィードバック仮説ですね。

なので、笑顔は幸せの結果、もしくは自分のため。
いつでも笑っていろと言うのならば、いつでも笑っていられるだけの環境を整える努力をオマエもしろと、問題の歌詞には言い返したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?