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ぶちゃけnightをふりかえる・働き方を考えたらプロ雑用が生まれた

こんにちわ、プロ雑用です!
実は、去年の11月から、所属しているMOVEDのチャンネルで、毎週月曜日の22時からライブ配信を行っています。
「ハタデザ!ぶっちゃけnight」ということではじめた番組ですが、今年に入って10回を超えました。

この番組は、何がきっかけで誕生したのかと言うと、私がMOVEDで所属しているハタデザ(働き方デザインの略)チームの同僚、ライブ配信王・峠さん(@ken10G)が、MOVEDの個性的なメンバーの露出をどんどん増やしていきたい!というホスピタリティあふれる考えから、企画してくれたことが始まりです。

私自身も、なにかテキスト以外でのコンテンツ作れないかなぁ、と考えているところだったので、二つ返事で案に乗っからせていただき、配信が開始しました。

このnoteは何を伝えるものなのか

その第一回目が、2020.11.05に配信したものになります。

リアルタイム視聴がどれくらいだったかは記憶にないのですが、ほとんど見られてなかったんじゃないかなぁと思われます(それは今もですが笑)。

今後長く続けていって、リアルタイム視聴者1000人ぐらい行きたいですね!(野望は大きく!)

このぶっちゃけnight、この第一回は特にテーマを決めず、働き方について考える、というざっくりとした内容で始まりました。

このぶっちゃけnightの配信は、台本なしのぶっつけ本番で喋っています。なので、間違ってしまうことや、誤解をまねくような表現、補完しないと伝わりづらい部分、伝え漏れていたことなどが随時発生してしまいます。
まぁ、それは私自身が未熟な部分ではあるので今後ブラッシュアップしてかなくてはイケないのですが、そういった部分を保管する意味も含めて、このnoteで、この配信の内容を改めて振り返ってみようと考えています。

こちらのテキストだけでも内容が伝わるように書いていくつもりですが、配信へアーカイブとして残っておりますので、これを機会にご視聴いただけたら、泣いて喜びます。
ついでに感想やご意見をいただけたら神として崇めます笑

さて、ではぶっちゃけnightの概要と、このnoteのポジションをお伝えしたところで、早速この第一回目の配信を振り返っていきたいと思います。

ITリテラシー格差への問題意識/2:23

現在の働き方を考える上で、ITリテラシーに関する問題というのは、避けては通れない問題だと思います。これについて、私は、これまでの自身の職場経験や、さまざまなメディアからの情報などから、ある程度この国には、大きなITリテラシー格差があるな、特にそれは、地方と都市部において大きく乖離しているのだろう、と考えていました。

しかし、MOVEDで仕事をしていく中で、中小零細企業の現状を目の当たりにしたことで、自分の認識を改めることになりました。

それは、ITリテラシーの格差は、地方と都市部の問題ではない、ということ。具体的にいえば、それは都市部であっても、東京の中心部にある会社であっても、IT化が進んでいない企業が、自分の想像以上に多い。
と、いうより、会社規模によらず、日本の多くの企業って、IT化なんて全然できてないんじゃない?ということを感じるようになりました。

これは恐ろしいことです。

考えてみれば、IT製品やサービスを卸している商社や、開発ベンダーも、扱っている製品やサービスについて理解していないことがザラにあります。
そして、多くの日本企業は、IT製品やサービスを自分たちで扱わず外注しているという実態があるのです。だから、商社やベンダーから離れると、一体自分たちに何が足りないのか、何をすればいいのか全くわからない。

DXだとかいろいろ考えるけど、具体的に何から手を付ければいいのか、全くわからない企業が多いのだということを理解しました。

デジタル化、IT導入を阻害するものの正体/5:25

ここで起こっているのは、「思考停止」です。
自分の与えられた仕事さえこなしておけば、何事もなくお給料をもらえる状態が長く続いているので、考える必要がない。分業が、分断になってしまっているわけです。本来意図されたものではないでしょうが、進んだ分業化の弊害、とも言える状態になっているわけです。

分業制は工業化社会の中で生まれてきたやり方です。ある商品を大量に製造するためには、一気通貫で誰かが作るより、部品ごと、工程ごとに分解して、手分けてして作ったほうが、品質も安定し、多く作ることができます。
これがつまり効率化・生産性の向上の基本的な考えです。

ところが、現代においてはこの考え方の弊害が出てきました。
それは、最適化された生産ラインは、簡単に変えられないということです。
同じ商品製品が売れ続けるうちは、一つの生産ラインを最適化することが重要なのですが、著しくトレンドが変化、そして多様化する時代においては、そもそも生産ラインを最適化している時間が、そもそもありません。

変化に強いことが必要な時代へ/7:00

コンピュータの世界は日進月歩、ドッグイヤーとかつては呼ばれていました。犬の成長が、人と比べて速いことに例えた俗語なのですが、この言葉が使われ始めたのは1990年代。いまから30年も昔の話です。現在はさらに早いバグイヤーと言える時代です。

昆虫の一生というのは環境変化に影響が出やすく、たとえばアゲハチョウは、一匹の一生は長くて2ヶ月程度。アゲハチョウの活動期間はだいたい3月から11月くらいなので、その間に、3〜5世代を重ねることになります。
一年の間に、曾孫か玄孫まで経験するわけです。
このスピードで世代を重ねるということは、環境変化に素早く対応できるということでもあります。

2020年、コロナの時代、誰も予想していなかった環境変化によって、すでにそれ以前の状態に戻ることがほとんど不可能になりました。昨年まで順調に売れていた商品やサービス、繁盛していたお店が、一瞬にして苦境に立たされてしまいました。
そういう時代においては、会社の規模はもはや関係なく、耐え抜くか、合わせて変化するしか生き残れません。

本当は、バブルが弾けたあと30年間の猶予のなかで、緩やかに変わっていければ、この状況にも十分対応できたはずです。ところが、ほとんどの企業はそれができなかった。いわば、そのツケが社会全体に襲いかかってきたとも言えます。

双極論では変化に適応できない/12:00

人間はとかく物事を単純化して考えたがります。
なぜかと言うと、そのほうが考えるエネルギーを節約できるからです。
ですが、世の中白黒はっきりすることなどほとんどありません。
必要なのは、グラデーション、揺れる振り子のバランスをどう取っていくのかというスタンス。それがないと、変化に適応していくことはできません。

双極論の例としては、一時期はやったフリーアドレスというのがあります。成功した、失敗した、さまざまな例が世の中には語られていますが、どれもこれも、会社全体で成功/失敗したか、ばかりです。

多様性を重視するということは、個人がさまざまに選択ができることが重要です。双極論で物事を語っていると、この多様性の視点がごっそり抜け落ちます。これが、世の中の企業や個人が、ダイバーシティを受け入れられない、また推進できない最大の理由です。

なぜそうなってしまうのか?
双極論の話で議論してしまうのか?

忙しさへの逃避「多忙は怠惰の隠れ蓑」/15:20

”多忙は怠惰の隠れ蓑”
この言葉は、私が社会人になりたての頃に出会った言葉。
ほぼ日刊イトイ新聞で、糸井重里さんのコラムにかかれていました。

私が動画で語らせていただいたことは、すべてこのコラムの中に書いてありますので、ぜひご一読ください。

要するに、忙しい状態は、ある意味、短期的欲求が満たされている状態であり、そこには長期的視点や大きな視野や、なぜなのか、という素朴な疑問が欠けてしまっている、ということです。

これを端的に示す寓話として、”木こりのジレンマ”があります。

※この木こりのジレンマは、イソップ童話の一つとされていますが、残念ながらイソップ童話に、これに該当する話はありませんので、デマの可能性が高いです。出典不明の話ですが、ビジネス書などでレンガ職人の話とともによく引用されます。

ボロボロになった斧を直すこともせずに、ただただ忙しく働く木こりは、思考停止しているわけです。このような状態は、誰でもなる可能性があるし、あるいは経験したことがあるのではないでしょうか?

社会人を長く続けていると、一旦手を止めて考えた人と、ただただ仕事に忙殺されていた人では、天と地ほどの差がつきます。

そもそも”働く”というのは何なのか?/18:45

「あなたにとって、仕事とは、働くとは、一体なんですか?」

こう問われた時、あなたは何と答えるでしょうか?

さまざまあるかと思いますが、私自身のおいては、非常にシンプルです。
会社のミッション・ビジョンの達成のための活動が、働くということです。

なぜそう考えるのか?

はたらくとは はたはたを らくにすること

この言葉を、幼いころ、教わったからというのが大きいと思います。

はたはたとは、側々(傍々)と書き、自分の周りの人々、という意味。
らくにするは、楽にする=助ける・手伝うという意味であり、同時に、楽しませる、ということでもあります。

つまり、働くとは、単に人が動く、ということではなく、自分が行動することで、周囲の人々を助け、楽にし、時に楽しませる、ということです。
周りの人に笑顔になってもらう、ハッピーになってもらうために、行動する、というのが、私にとって働くということの原点。

それに加え、リクルート関連企業で働いていた時に

人は一生のうちの1/3は働いている時間。寝ている時間を除けば、人生の半分は働いている。この時間が楽しくなければ、人生の半分が無駄になる。

というような内容の言葉に出会い(たしか社員総会か何かの時に聞いた)、なるほど!と思ったことも大きな理由です。
相手ばかりでなく、自分も楽しく生きないと、本当に働いたとは言えない、「つまんない仕事してる場合じゃないぞ」と考えたわけです。

そして、私はこのとき、真剣に
「自分には一体何ができるのだろうか?」と考えるようになりました。

What can you do? プロ雑用の誕生/25:00

考えた末、「自分は何もできないな」という結論に至りました。
ただ、これは、けして後ろ向きな結論ではありません。
いわば、この時、初めてプロ雑用としての道を歩み始めたといえます。

幸か不幸か、当時も今も、非常に才能に恵まれた素晴らしい人達とお仕事をする機会が多いのですが、リクルートの関連会社では、本当にトップランナーの人々の仕事を間近でみる機会を得ました。
その結果「あ、この人たちと同じ土俵に上がれないわ」と確信してしまったのです。まぁ、これは、根性なしといわれても仕方ないのですが、私としては、高尾山でヒーヒーいってるレベルの時に、エベレストを見せられたくらいの衝撃なので、これは無理だなと悟ったわけです。

人間、諦めも肝心ですよ。

ある特定の分野では100点、どころか90点80点も無理だ、と悟ったわけですが、それと同時に、別の気づきもありました。

人間の能力って、デコボコなんですよ。
あるところが100点であっても、別のところは100点ではない…どころか赤点の部分もあるのです。だって人間だもの。

わたしはその点に注目しました。
「はたはたをらくにする」という考えがベースにして、その部分を自分が補えば、彼らはより自由に働くことができるのではないか、と考えました。

一つのことを極めるのが無理なのだから、40点50点とれる分野を多種多様に増やしていけば、デコボコある人々のボコに、どれか当てはまるだろう、ということです。なんなら、20点30点でもいい、可能な限り増やす方向に、自分の可能性を見出しました。

若人よ、大いに悩め/31:16

若い頃から、自分の道が見えている人は、稀有です。
見えていると思って進んだはずの道が、間違っている可能性だってある。
だから、わかいころに自分の道を決める必要なんてない。
将来なんて、見えてなくていいし、そもそも見えないんですよね。

いや、若い頃に将来を見据えてしっかり計画を立てていくべきだ、という人も居るでしょうが、まぁ、だいたいそういう人は、私より年上の方々。彼らが生きてきた時代は、成長曲線が直線だったから、それが可能だったのであって、残念ながら、変化が早く、全ての影響がもはや見るどころか予想すらつかない複雑系の時代において、計画は無用どころか、足かせになる可能性もあります。

重要なのは、変化にいかに早く適応できるか。
複雑系には、それが求められています。

そういう時代で最悪手は思考停止、すなわち”多忙は怠惰の隠れ蓑”であり”木こりのジレンマ”です。くれぐれも”働いてるフリ”はしてはいけません。

楽しそうに”いやぁ、忙しいです”という人はOK。
苦しそうに”いやぁ、忙しいです”は、NGです。

最後に生き残ってたものが、複雑系の社会における勝者です。

自分のために自分を磨け/35:57

トヨタ自動車のトップ、
豊田章男氏が2019年の年頭挨拶で、このようなことを語られました。

みなさんは、自分のために、自分を磨き続けてください。
トヨタの看板がなくても、外で勝負できるプロを目指してください。
私たちマネジメントは、プロになり、どこでも戦える実力を付けた皆さんが、それでもトヨタで働きたいと、心から思ってもらえる環境を、
作りあげていくために、努力してまいります。

この言葉は↓の動画の19:30ごろから語られています。
それ以外の部分も非常に学びが多いですので、ぜひ御覧ください。

言葉は

他人と過去は変えられませんが、自分と未来は変えられます。

と続きます。

大会社トヨタにとって、変化というのは耐え難い苦痛を伴うものです。
それまでの慣習、あたりまえを見直さなくては、たとえ日本一といえども潰れてしまうかもしれない、という危機感が感じられます。

自在な変化を邪魔するもの、それは執着/36:55

「自分が辞めたら、みんなが困るから」
「この仕事は自分しかできないから」

よくこんな言葉を口にする方がいます。
これらは、自分ではなく他人に理由を求めた他責の思考です。
これも、思考を停止していることに他なりません。

自分の人生なのだから、自分の好きにしたらいいのですが、人間なかなかシガラミから逃れられません。なぜ逃れられないかというと、それは執着しているからです。
今の環境、人間関係、変化しないことに”安心”しているからこそ”依存”し、そこに執着が生まれます。仏陀は、執着こそが人を苦しめる元凶と見ていました。

他人に依存するから執着するのであれば(他責思考)、全て自分の責任で行動すればそれは解決します(自責思考)。

人生の主役は誰か?
それは自分です。
多くの人は自分は人生の端役だと思ってるのですが、これは明確に間違い。
冨岡義勇もかつての炭治郎を怒鳴りつけました。

生殺与奪の権を他人に握らせるな!!

自分を生かすか殺すかを他人に委ねることも、他責思考なのです。

行動だけが結果につながる/42:38

宝くじに当たるかどうかは、宝くじを買わないとわかりません。
石を投げてみないことには、的にあたるかわかりません。

もちろん、結果が明らかなこともあります。
たとえば、東京タワーから飛び降りれば、死にます。
死ななかった場合は、奇跡ですが、可能性としては限りなく0に近いです。このようなことに対する行動は、勇気どころか蛮勇ですらありません。

だが、飛び降りるかどうかは、自分で決められます。

「俺はいつか転職してやる!」
「こんな会社やめてやる!」

そんなこと言ってる暇があったら、辞表を書け、です。

こういうことを書いた時の反論は
「捕まってたらどうするんだ」
「縄に縛られてたらどうするんだ」
というのがあるのですが、それに対する答えは明確で、
抵抗するか、抵抗しないかを自分で決めればいい、というだけです。
諦めるのも、諦めないのも、自分で決められるんです。

決められないのは、諦めているわけでも、行動できないのでもなく、単に「決めない」と選択しただけの話。すべては自分次第。

例外は、虐待されている子どものように、暴力によって明らかな選択の自由を奪われている状態や、鬱などによって脳がダメージを受けており明らかに選択できない場合。このよな場合には、自分でなんとかすることはできないので、周りが手助けが絶対に必要です。
極論でものを考える人は、こういった例外を持ち出して、全体の話にすり替えようとする傾向があることには、注意が必要です。

働くことを楽しくすることは、自分の人生を豊かにすること

豊かさとは何か?と問われたら、
私は「自らの意志で選択できること」と答えます。

自分の意志で行動を起こした人は、過程にも結果にも、ある意味で納得ができます。その行動を起こす時に、示された道の中からどれを選択するか?それを自分で決めているのだから、喜びも後悔も自分のものです。

さまざま悲観的に語られることの多い今の日本。
それでもまだ選択できることはあります。

少しでも自分の人生を豊かにしたいと思うのならば、自らの意志で選択すること。そしてその道は、他者の人生も豊かにできる道であることが、必要です。さらにその先の他者、さらに他者…と広げていけば、極論、世界は平和になります。(ちなみ極論が好きな人はこういうポジティブな極論にはたどり着きません。なぜかと言うと不幸であることに執着しているからです)

世界の中心は、他の誰でもなく自分だと気づけば、さまざまな、それまで見えてこなかった選択肢が見えてきます。

歴史に名を残した人々は、すべて「行動した人」です。それが名声であれ悪名であれ、すべては自ら動いたことが、名を残すキッカケになっています。行動せずに名を残した人というのは、存在しないのではないでしょうか?

別に名を残す必要はないのですが、一度しか無い人生、楽しく生きたいですよね。楽しく生きるためには、生きることをサボってはイケないのです。
忙しさに怠けている場合じゃない!
意志を持って忙しさと決別しましょう。
そのためにも、執着を捨て、行動することです。
行動すれば、必ず変わる。

ねだるな 勝ち取れ さすれば 与えられん

終わりに

この初回はテーマを決めていなかったので、とても長い配信になってしまいました。1時間を超えてしまいまして、なかなか見直すのも大変でした笑
You Tubeは再生速度を変えられるので、ご視聴の際は倍速再生推奨です笑
聞き流す程度、BGM代わりにもお使いいただけ…るかな?笑

配信中、音がハウリングしている部分があり、お聞き苦しい部分がありますが、これは私の環境のせいです。第2回目の配信以降は、ハウリングはなくなっておりますが、通信状態によってところどころ聞き苦しい部分もあります。平にご容赦くださいませ。

長文、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
では、第二回目「義務からクリエイティブは生まれない」の、noteでお会いしましょう。

それじゃ、また。

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