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探しものはなんですか?無駄は価値、価値は無駄。誰がためにそれはあるのか。

この記事には過去を美化するバイアスが掛かっている。
2000代前半など、そもそも知りたい情報がちゃんと載っているサイトが少なかった。全てが全て知りたい情報にたどり着いたわけではない。
その頃すでに、ひろゆき氏が
「インターネットは嘘を嘘と…」
と明言していることからも、
これは単に昔は良かった、というおっさんのつぶやきでしか無く、事実ではない。さもそれが事実であるかのように広める事自体が、有象無象を増やしているに過ぎない。

サービスが増えた、質が下がった、などというのは認識違いで、
情報量が超新星爆発的に増加したので、というのが正しい。

アメリカのとある企業の調査によると、2000年に全世界の情報量は6.2EB(エクサバイト)であったのが、
2011年には1.8ZB(ゼタバイト)、2020年には45ZBに達するとされている。

※エクサ=10の18乗、現在のHDDの主流であるTB(テラバイト)の10万倍、ゼタ=10の21乗は、1億倍

1ZBは、地球上の砂粒の数よりも多いとされているので、1.8,45ZBは冗談のような数だ。ちなみに、ZBは、大数でいうと、十垓(ガイ/京の上位単位)に相当する。単位が大きすぎて全く想像できない。

地球上のどんな砂漠よりも広い砂漠から、自分がほしい砂粒を探そうとするのだ。当然ながら無駄にもぶち当たる。

むしろ、検索エンジンの仕様や、SEO、様々なまとめサイトは、
情報をほしいと持っている人に最短で届けよう、という努力の証だ。

与えられたツールを使いこなせないことを、懐古主義で貶めるのは、包丁でおきた殺人事件の責任を、包丁を作ったものに転嫁させるに等しい愚考だ。

一方でこのような記事もある。

積読書籍上位にランクインする、ファスト&スローで語れる、
システム1とシステム2がこの話には登場する。
簡単乱暴に言い換えれば、感情と論理の話で(そして論理は常に怠惰)、
人は自分にとって都合のいい話、信じたい事しか信じない、ということだ。

無駄だと思ってる情報は、あなたにとって無駄なだけで、
他の人にとってみれば価値のあるものなんだよ、
っていう簡単な事が理解できてない。

無駄とは大いなる宝物。
そうでなけらば、誰がこんな記事書く?誰得?俺得だぞこれ。
他の人にとって価値がなくても俺得、それでいいのだ。

情報を受ける側のクリエイティブ、
というものが本当に問われる時代がやってきた。
すばらしいことである。

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