(メモ)アルゼンチンによるチリ侵攻作戦計画「Operación Soberanía」(1978年)

なんじゃこりゃ!?
https://es.wikipedia.org/wiki/Operaci%C3%B3n_Soberan%C3%ADa_(Argentina)

1978年にアルゼンチン軍がチリ侵攻作戦を計画してたとか初耳なんだけど・・・ しかも計画中止の理由が、バチカンのヨハネ・パウロ2世の介入で最後の最後で中止になったとか・・・ こりゃフォークランド紛争時にチリが速攻で英国指示したのがわかるわ

うわアルゼンチン軍、艦隊は出撃(嵐でうまくいかず)、陸軍はチリ国境に展開…これ本当に一歩手前だったのか… こりゃフォークランド紛争の前兆みたいな軍事行動だな 少なくともこの期間のアルゼンチンではナショナリズム高揚のための領土奪回作戦が(政権内と軍部)で求められていたのか

作戦のきっかけとなった「ビーグル紛争(Conflicto del Beagle)」をめぐる1977年仲裁裁定(英国とエリザベス女王が発表)がきっかけ…
●1977年の仲裁判断(Laudo arbitral de 1977) https://es.wikipedia.org/wiki/Laudo_arbitral_de_1977… ビーグル紛争として知られる主権紛争に関する仲裁判断は、 1977年5月2日に、アルゼンチンとチリの間の国境紛争の正式な仲裁人である英国と北アイルランドの政府を代表してエリザベス2世によって発表されました。


おう…ここでアルゼンチンが仲裁を認められないと突っぱねたのか? チリが…うわアジェンデ大統領だ… これは…フォークランド紛争単独の話じゃなくなったぞ

「1978年の終わりに、アルゼンチンの海軍艦隊はすでに太平洋に向かって航海しており、飛行機は基地を変更し、陸軍のパトロールは「チリの領土で行われ」、何千もの列車による移動さえ手配されていました。」 まじかよ…まじで戦争開始してたのか…

あーこの期間で武器売却を欧州諸国やってたのか… だからサッチャーがフォークランド紛争の時、速攻で欧州諸国に武器販売禁止の確約取り付けたのか ※チリは軍事クーデターの影響で諸外国からの武器購入が難しかった模様

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