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「いつかやろう」と思ってやらなかったこと

今日はいつものように穴守稲荷神社に行き、手持ちにしたままだった御札やお守りを古札納所に納めてきました。
自宅には太宰府天満宮の御札などが置きっぱなしになっており、いつか返納しようと思いながらずっとそのままになっていました。今回それを納めてきたというわけです。御札やお守りは授与された神社に返納するのが望ましいのですが、前回穴守稲荷に参拝した際に伺ったら、御札やお守りであれば他神社のものでも返納してよいと言っていただけたので。

今日のコンちゃん。りんごがお供えされており、前回より敬われています。


お気に入りの御井戸はいつも綺麗
6月っぽいですよね!

返納後は、いつものように必勝稲荷や奥ノ宮を参拝しました。

昨年度までは年に1回は行くよう心掛けていた穴守稲荷神社ですが、今年度は月1回以上のペースで行っています。それだけ生活に時間的余裕があるということですね。

その後はショッピングなどに行きました。ショッピングも、いつか買いたいと考えていてずっと買わなかったものを買えました。
 

「いつか」はいつくるか?

みなさんにもきっと、いつかやろうと考えていることがありますよね。その「いつか」は、すぐやってきたり、永遠にやってこなかったりします。

「いつか」がくるかどうかは、その人の性格と置かれている状況(忙しさ)に左右されます。

すぐ行動を起こせる人には「いつか」はすぐやってきます。
また、時間的余裕がある場合も「いつか」はやってきやすいです。

私はなかなか行動を起こさないため、「いつか」が全然こない人間でした。こういう人間は、普段が忙しかったらもうダメです。たまに休みがあっても、「いつかやりたいこと」をするパワーはありません。
 

「元気は使えば使うほど増える」
という言葉があります。物事を行えば行うほど気力が充実し、逆に元気の出し惜しみをして何もしないと気力が減退するという感じの意味です。周囲の人を見ると確かにそうなっており、また毎朝ジョギングをして仕事も活動的な人がいるという話を聞いたりもするので、人間の真理でしょう。

しかし、それが真理だとわかっていても実行するのは難しいものです。
例えばストレスが溜まった時に「運動をして解消だ!」と行動するのが好循環を生み出すことを知っていても、スナック菓子を食べまくる方が断然楽だから後者を選んでしまう人は多いでしょう。私もそちら側です。
知っていることと、それができるかどうかは別問題です。

しかし、時間的余裕がたっぷりある今の私は「いつか」にも手が回ります。
「他にすべきこともないし、やってみよう」
という気になります。そのことがとても嬉しいです。

そうなると、(ある意味必然ですが)不思議とやりたいことがどんどん思い浮かぶようになります。
予想屋をやる前は、予想屋になったら暇な時に
・カラオケ
・追い切り(ジョギング)
・ゲーム
の3択くらいしかすることがなくて、暇を持て余す気がしていました。
しかし実際はゲームをさほどせず、
・図書館
・神社
・温泉
という「余裕があったら行きたい」選択肢が今やレギュラーとなったし、温泉も行ったことのないところを開拓しました。さらに、登山に行きたいなあとか新たな希望が思い浮かんでいます。忙しかった頃は、どうせできない・しないと諦めて意識にも乗せなかったことです。
 

余裕が行動的にさせる

昨年度と比べると、今は圧倒的に暇です。
しかし、昨年度と今のどちらがダラダラ過ごしているかと考えると、それは昨年度でした。今は余裕があって元気だから、基本が無精者でも無理なく元気を増やす行動を取れています。

今年度になって、前の職場での歓送迎会や、趣味の集まりに顔を出した際、それぞれで
「元気そうだね」
と言われました。社交辞令ではなく、今の方が元気そうという意味で言ってもらいました。昨年度は確かに疲れたなーとはよく思っていて、でも疲弊した様子を表出したつもりはなかったんですけど、やはり外から見ても疲弊した部類だったのでしょうね。
 

お金の心配だけ無視すれば、今の自分の方が生き生きとしています。
普通の社会人は、念じても余裕が持てる環境に変化するわけではありませんが、元気が出ない環境に置かれている読者の方がいらっしゃったら、何かしら余裕ができる変化が起こることを願っております。

みなさんも、余裕ができた時にぜひ「いつか」を実現させてください!

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