![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/146809477/rectangle_large_type_2_21bf23bb6d295543c9529a4748eae385.jpeg?width=800)
三輪秀次の復讐心を読者はどう受け止めるべきなのか?(ワールドトリガーで倫理学)
◯はじめに
最近、ちょっと面白そうな本を買いました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720641476599-W65sBEiedP.jpg?width=800)
SFマンガを題材に倫理学について触れている本で、(非常に)残念ながらワールドトリガーは題材として選ばれていませんでしたが、この本を読んでワールドトリガーと倫理学を組み合わせた考察をすることを思い付きました。
いくつかのテーマに分けて考察しようと思いますが、今回は「復讐」をテーマに考察していきます。
ワールドトリガーで「復讐」と言えば、近界民の侵攻で姉を失い近界民への復讐心を持っている三輪秀次ですね。
「近界民を名乗った以上、見逃すわけにはいかない。近界民はすべて殺す。それがボーダーの務めだ」
「今飛んでった秀次なんかは、姉さんを近界民に殺されてるから一生近界民をゆるさねーだろーな」
三輪秀次の復讐心を読者はどう受け止めるべきなのか、倫理学の視点から考察したいと思います。
◯道徳的地位の七原則
三輪の近界民に対する(殺害を含めた)復讐心を読者は倫理的にどう受け止めるのか考えるために、倫理学者のメアリ・アン・ウォレンの議論に注目しました。
ウォレンは、私たちがそれぞれの生命に対し異なる配慮をすることについて、道徳的地位という概念を用いて説明しています。それによれば、ある存在者が道徳的地位をもつということは、その存在者が配慮の対象になっているということです。そして、ある存在者が道徳的地位をもつならば、まわりの者には、その存在者の利害を気にかける義務が生じることになります。
この中にある「ある存在者」は今回の考察では「近界民」ということになります。
ワールドトリガーにおける近界民がどのような道徳的地位をもつのか、ウォレンが示した道徳的地位の七原則から考えてみます。
道徳的地位の七原則
① 生命尊重の原則
生きている有機体を正当な理由なく殺したり危害を与えたりしてはならない。
②虐待禁止の原則
相応の理由がある場合でも、感覚能力をもった存在者に与える苦痛は最低限のものでなければならない。
③行為者の権利の原則
理性をもって道徳的に行為できる存在者(道徳的行為者)は、生命権や自由権などの基本的権利をもつ。
④人権尊重の原則
感覚能力をもつが道徳的行為者としての能力をもたない人は、道徳的行為者と同等の基本的権利をもつ。
⑤生態系への配慮の原則
生態系も道徳的に配慮しなければならない。
⑥生物種間の尊重の原則
異なる種の生物であっても、相応の道徳的配慮をしなければならない。
⑦尊重の推移性の原則
ある存在者を道徳的に配慮するとき、ほかの原則と比較して正当な理由がある場合には、その存在者に対して自分が想定するよりも強い道徳的地位を与えなければならない。
三輪の復讐心を読者が認識するのが第16話とした場合、読者はそれまでに近界民について以下の情報を得ていることになります。
①近界民は「異次元からの侵略者」である
「近界民」
後にそう呼ばれる異次元からの侵略者が
門付近の地域を蹂躙
街は恐怖に包まれた
②近界民は「人間」である
「門のむこうに住んでる『近界民』はおれと同じような『人間』だよ」
③近界民には「いいやつ」もいる
「いやいや待て待て、そういうあれじゃない。おまえを捕まえるつもりはない。おれはむこうに何回か行ったことがあるし、近界民にいいやつがいることも知ってるよ」
④近界民はトリオンのために侵略している
「こっちの世界に来る近界民は大体トリオンが目的だよ。トリオン能力が高いやつは生け捕りに、トリオン能力が低いやつはトリオン器官だけとっていく。そうやって集めた兵隊とトリオンをむこうの戦争で使うわけだ」
まとめると近界民は
①異次元からの侵略者
②人間
③いいやつもいる
④トリオンのために侵略
ということになります。
これを道徳的地位に照らし合わせると、少なくとも近界民には「①生命尊重の原則」と「②虐待禁止の原則」はあるように思えます。
① 生命尊重の原則
生きている有機体(近界民)を正当な理由なく殺したり危害を与えたりしてはならない。
②虐待禁止の原則
相応の理由がある場合でも、感覚能力をもった存在者(近界民)に与える苦痛は最低限のものでなければならない。
①の場合、復讐が「正当な理由」に該当するかどうかは一概に言えません。
②の場合、復讐が「相応の理由」だとしても与える苦痛は最低限でなければなりません。
つまり、倫理的に読者が三輪の復讐心を否定までは行かなくても肯定することはやや難しいような印象を受けます。
ここで面白いのが、ワールドトリガーの物語の中では三輪の復讐心は否定されていないところです。
「おまえが近界民を憎む理由は知ってる。恨みを捨てろとか言う気はない。ただ、おまえとは違うやりかたで戦う人間もいるってことだ」
「でもまあ何か目標があったほうがやる気出るでしょ。救出だろうが、復讐だろうが」
「仇討ちするなら力貸そうか」
「……!? なに……!?」
「おれの相棒が詳しく調べれば、お姉さんを殺したのがどの国のトリオン兵かけっこう絞れるかもよ? どうせやるなら本気でやったほうがいいだろ」
「おまえがおれの頼みを聞いてくれるなら、おれはおまえを推薦する」
「何……!?」
『「風刃」があればお姉さんの仇を討ちやすくなるぞ。パワーアップはできる時にしておいたほうがいいだろ』
「復讐は悪」と決めつけるのではなく、善悪の幅を持たせることで読者に「復讐」という行為についてより深く考えさせる効果があるように思えます。
もし葦原先生が物語の中で三輪を姉の仇と相対させるとしたら、三輪にどんな「選択」をさせるのか楽しみにしている自分がいます。
◯終わりに
今回は「復讐」をテーマに考察してみましたが、ワールドトリガーには他にも倫理学で考えてみたいテーマがあるので、ある程度考えがまとまったら考察したいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?