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なぜ三雲修は「モノローグ」が多いのか?

◯はじめに

漫画のキャラクターはセリフの他にいわゆる「心の声(モノローグ)」を発する場合があります。

このモノローグに注目してワールドトリガーを読んでみると、主人公である三雲修がモノローグを多用していることに気付きました。

例えば第1話の三雲修のモノローグを見てみると、

(ボーダー関係者……!?)

(最初は「もしや」と思ったけど、ボーダーの人間って感じじゃないな……子供っぽすぎる……)

(こいつら……)

(こいつ……意外と好戦的だ……!)

(……ほら見ろ!)

(ボーダー基地の警報……!!)

第1話

となっています。

対して空閑遊真のモノローグはわずかに

(な……!)

第1話

のみです。

第2話でもこの傾向は変わりません。

(あやしすぎる……こいつ一体何者だ……!?)

(さっきはぼくを助けてくれた。悪いやつとは思いたくないけど……)

(少なくともこいつは『トリガー』を……近界民の武器を持ってる。ボーダーの一員として目を離すわけにはいかない……!)

(こいつ……! 「日本は初めて」って聞いてはいたけど、そこまでなんにも知らないのか……!? 別の意味であぶなっかしいぞ……!)

(こいつら……さっきの札束を見てたのか……?)

(こいつ……やっぱりどこか少しこっちの人間とはちがうぞ。悪気があるようには見えないけど、そこが逆にキケンな感じだ……)

(なんなんだこいつは……言ってることは小学生みたいな理屈なのに、言葉に妙な「本気度」を感じる………)

(……こいつはめちゃくちゃなやつだけどバカじゃない。話はちゃんと通じるしこっちの世界に合わせようっていう意思がある……だれかがちゃんとこっちのことを教えれば……)

(悪いやつじゃない……悪いやつじゃないと思うけど、こいつは本物だ……本物の近界民だ……!)

第2話

これは明らかに意図的だと思ったので、その理由を考察したいと思います。

◯感情移入コントロール

モノローグの効果として考えられることとして、「読者がそのキャラクターに感情移入しやすくなる」ということが挙げられます。

第2話までの修と遊真を比較すると、修はモノローグによって内面が明らかになっているため、それを読んだ読者は修に感情移入しやすくなっています。

逆に遊真はモノローグがほとんどないため、読者は遊真に感情移入しにくくなっています。

これは遊真が「近界民」という物語上で謎の存在であり、その異質性・神秘性を強調する狙いがあるように思えます。

つまり、モノローグの有無によって読者がキャラクターに感情移入する度合いをコントロールしているということです。

これは他の場面でも確認することができます。

例えば第54話でランバネインがボーダー隊員と交戦し、圧倒的な強さで5人(茶野・藤沢・穂刈・半崎・太一)を撃破する場面では、ランバネインはモノローグを一切使っていません。

これはあえてランバネインに感情移入させないことで、ランバネインの異質性・神秘性を強調しているように思えます。

しかしこのままだといざランバネインを倒した時に「何だかよく分からない敵を倒した」と読者は思ってしまうため、第58話からはランバネインもモノローグを使い始めています。

(不用意に撃ってこなくなったか。思ったより我慢を知っているな。さあどうする? 定石通り市街地を攻撃して誘い出すか……それともいっそヴィザ翁たちに加勢するか……)

第58話

(こいつは……陽動か!)

(攻めかかると見せかけてこちらの反撃に即応できる距離を保っている、これも陽動……!)

(手応えがない、外したか……? 何か細工があるということか……?)

(煙幕……!?)

第59話

(飛行機能の再構成まであと20秒……)

(玄界の兵の動きが変わった、なかなかイラつく攻撃をしてくる、いい指揮官がいるな)

(飛び回りながらでは狙いが定まらんな。かといってぬるい機動では的になる。ここは建物で敵の射線を切って……)

(周囲の人間が盾を……!?)

第60話

このようにモノローグでランバネインの内面を描くことで、結末の「ランバネインの撃破」という事象を読者に印象付けています。

逆に撃破されるまであえてモノローグを使わないで「強敵感」を維持しているキャラクターもいます。

それはB級ランク戦編の実質的なラスボスである     二宮匡貴です。

二宮は第103話で初登場してから落とされる直前の第194話まで、(私が確認した限りでは)一切のモノローグがありません。

第195話で辻󠄀が落とされた時もそれに気付いてはいますがモノローグはないという徹底ぶりです。

そんな二宮が修の偽装ハウンドによって初めてまともにモノローグを使います。

(追尾弾を隠していただと……! ……いや、さっきの弾は追尾性能を切った追尾弾か……!? トリオンの少なさを逆手に……!)

第195話

このモノローグによって「二宮匡貴の撃破」という事象を読者に印象付けています。

こうして見ると三雲修と二宮匡貴は

「モノローグが多い」⇔「モノローグが少ない」

の対比関係になっているのかもしれません。

修が読者に人気がある理由の一つに、モノローグの多用による感情移入のしやすさがあるのは間違いないのではないでしょうか?

◯おわりに

ここまで考察して、修が読者にワールドトリガーの「主人公」であると認識される要因にもモノローグの多用があるように思いました。










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