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「虹獣(コウジュウ)」1章:リルト 5話:陽虚(ヨウキョ)

 抑圧される事への拒否反応からか、リルトはそれからの逃げ場を外へと求める。今まで行った事のない遠くまで遊びに行ってみようと決意し外へ出ると物置小屋の辺りが騒がしい事に気付き「なんだろう?」と不思議に思ったリルトはそちらへと行ってみる事にした。

 リルトは以前に出会った空中を自由に動くものと再会した。どうやらそのもの達は蜜蜂という生き物らしく、隊長格のラウ、副隊長格のイウ、新人のシウなどがいた。ラウ達は丁度雀蜂の襲撃を受けていたようで、接近するリルトにはお構いなしであった。彼らの敵である雀蜂はたったの三匹、数で比べれば蜜蜂達の圧勝である。しかしラウ達は雀蜂の強さや凶暴性や攻撃性を深く理解していた。

 隊長格であるラウは叫ぶ!
「敵は強い!だが、我らには数の利、それを活かした集団性がある!」
「敵一匹に対し三十六匹で球円陣を組み、敵を包囲し動きを抑制した後に熱死させよ!」
「我らには耐熱限界値の有利さがある、そこを活かし侵略するものからコロニーを守るのだ!」
「各隊、部隊長に従い健闘せよ!」
「かかれっ!」
ラウはそう言うや颯爽と真ん中の雀蜂へと向かって行った。雀蜂の動きは機敏で顎の力も強く毒針も厄介である。どう対処すべきか攻めあぐねている横をイウが突出する。戦闘態勢が万全であった雀蜂は戦闘の末にイウの首を顎で切断した。その光景に一時愕然としたラウ隊であったが、その隙を逃さずラウ自ら雀蜂の背後へと纏わり付いた。それに続くように一匹二匹と纏わり続け三十匹が纏わり付いたところで熱量が高まり出した。
「うじゃうじゃと鬱陶しい!」
「この集団が一つのものであれば、毒針で一瞬にして終わるものを!」
「大きな獣には有効であっても、小さな虫には効率が悪いとはな!」
そう言い放ちながら、何とか密着された包囲を振り解こうとする雀蜂。しかし三十匹の纏わり付きはそうそう剥がせるものではなく、段々と意識が朦朧としていき、やがて高まった熱量により死を迎えるのであった。
「一番隊、敵雀蜂を討ち取ったぞ!」
そう声高々に叫ぶラウは味方の士気を揚げる為に必死であった。それほど雀蜂は蜜蜂にとって恐ろしい敵である。戦況を見渡してみると二番隊が壊滅間近であり三番隊は拮抗した戦況であった。
「一番隊はこれより三番隊の支援へ向かう!各自怠るな!」
勝ち易きに勝つ、まずは勝ち易い敵を倒し、その勢いを持って二番隊の救出に向かう。それが最善の策だとラウは判断した。仲間を守る事が第一優先ではない、コロニーを守る事が第一優先なのだ。イウの死も今は省みている時ではない、急いで遂行し勝たなくてはコロニーそのものが崩壊する。ラウは少し焦っていた。その焦りが油断を誘う、ラウは雀蜂の顎に自らの体を切断される事態を生んだ。しかし、それが雀蜂の隙を突く結果となり、シウやその他の蜜蜂達は雀蜂を球円陣の中へと包囲し熱量を高めだした。数十分掛かかりようやく雀蜂は死に到り残る敵は一匹となったが、二番隊は壊滅し全て殺されてしまっていた。が、不利を悟ったのか生き残った一匹の雀蜂は颯爽と撤退していくのであった。雀蜂が去り残された蜜蜂達。ピクピクッと未だ少し動いていたラウは苦しそうに言葉を発した。
「私は…もう長くない…。イウも戦死してしまった…。シウ!これからは君が皆を統率してコロニーを守るのだ…頼んだぞ……」
そう言い遺すとラウは二度と動かなくなってしまった。
「隊長ーーーー!!」
シウの切ない声が周囲に響いた。

 一連の流れを眺めていたリルトには何が起こったのかよく解らなかった。リルトからしてみれば蜜蜂も雀蜂も空中を自由に動くものに変わりはなかった。変わりない小さな動くもの達が動かないものへと変わっていった。動かなくなった小さなものは、なぜ動かなくなったのか?リルトには理解の出来ない不可思議な出来事であった。本当に動かなくなったのか?リルトに疑問が芽生えリルトは前足で動かなくなった小さなものを軽く触ってみる事にした。ちょいちょいと軽く触れてみる…しかし蜜蜂は動かない。リルトは何故動かなくなったか深く疑問を抱いていると、そこへ以前に出会った怠惰な雄の蜜蜂が現れた。
「おー…おー……いつぞやの獣というやつか」
「あー…ダメだダメだ。そいつらはもう死んでいる」
その怠惰な雄はリルトが前足で死んだ蜜蜂を触っているのを見てそう言った。
「死んでいる…?死ぬって何さ?」
リルトは身近なものの死に直面した事が未だない。全てのものはそのまま存在し続けるのであろうと思い、それ以上深く考えた事はなかった。あの人も母犬もリルト自身も、このままの姿で何年も何十年も続いていく。それが当然と思っていた。
「死ぬというのはな、動かなくなる事さ。一時だけではなく、ずっと動かなくなるんだ」
「死んだものには何もない、もう仲間ではない、元仲間の死骸。ただその認識のみになるんだ」
「だから獣である君が死んでいる彼女らに触れても、生きている彼女らは何も気を止めない。それが死ぬという事なんだ」
リルトはそう説明を受けたが話しの半分くらいしか理解が出来なかった。動いている内は生きている、動かなくなったら死んでいる。何故動かなくなる?どれくらいの時間を動かなくなったら死んだ事になる?そんな疑問が新たにリルトの頭を占め出していたが、そんな事にはお構いなしに怠惰な雄は話しを続ける。
「オラはな、これから交尾飛行をするんだ。女王様に選ばれた雄だけが参加出来るんだ。オラの交尾飛行を見ててくれだ。オラはきっと女王様と交尾してみせるだ」
怠惰な雄はそう言い残すと更なる上空へと飛び上がった。他にも雄らしきもの達が飛んでいる中、一際大きい蜜蜂が飛んでいるのが見えた。「恐らくあれが女王様なんだろう」リルトは直感的にそう感じた。
「オラはやるだ!やってやるだ!」
怠惰な雄はそう自分に言い聞かせるように掛け声を上げ女王様の背中へと取り付いた。
「オラはやっただ!」
そう言いながら交尾をする怠惰な雄。すぐに射精をして性器を抜こうとするが女王様の性器は締め付けが強く抜けない。怠惰な雄は勢い余り腹部から先が千切れ地上へと落下するのであった。落下する怠惰な雄に思わず駆け寄るリルト、しかし怠惰な雄は無残な姿となってピクピクと痙攣をしていた。
「オラはやっただ…やっただ……やっ…た……だ……」
そう言い残して怠惰な雄は息を引き取り動かなくなった。怠惰な雄が先ほど言っていた死を迎えたのであろう。リルトは度重なる「死」というものに何とも言えない恐怖心を抱いた。そして、足りないながらも死について思考を巡らせ始めた。自分の死、あの人の死、母犬の死…いつかは皆死んでしまうのだろうか?楽園が永遠に続く事はないのだろうか?どうして?こんなに楽しいのに。楽しい事が続かないなんて何で?続かないなら何で生きるの?何の為に生きるの?どうして生まれてきたの?楽しくない事への拒絶反応か、逃避反応か、リルトは母犬からの重い抑圧を思い出していた。リルトは逃れたかった、楽しくない母犬の愛情から。

 今迄遊んでいた家の庭を離れ遠くへと向かう。それには好奇心による知りたいという欲求、そしてリルト自身の心の拠り所を探し、見付け、得たい、という深層心理からくるものであった。リルトは聞き耳を立て周囲を見回し、匂いを嗅ぎ辺りを警戒しながら、いつも遊んでいる庭から少しずつ遠くへと歩み出した。少し歩いた先に川があり、初めて感知する川という水の流れに戸惑いを感じつつも好奇心を抱き、川の横に平行して連なる塀の上を歩いて行きながら川を観察してみる事にした。
「どこまで行くんだろ?…」
水が流れて行くのを何となく理解したリルトは、川の中にある水達がどこまで流れて行くのかと疑問に思った。川沿いの風景は今迄遊んでいた庭の風景とは変わり、草木は在れど花々は無く、木々の陰のせいかやや暗く、そして物静かな雰囲気があった。その物静かさがリルトの心に安らぎを与え、母犬からの抑圧を緩和してくれていた。人が居ない、虫も目立たない、そして母犬が居ない……。居るのはリルトだけ……。リルトだけの縄張り。その状況を感受する事によって生まれる高揚。いつしか抑圧されていた気分は無くなり、リルト本来の明るさが滲み出ていた。

 暫く歩くと川は水が勢いよく流れる段差になっており、その上に橋が架かっていた。その橋はリルトから遥か高い所にあり、その下は橋の陰で目立たない様になっており、隠れ家の様でリルトはそれを自分で発見した事に喜びを感じていた。そんな時に川の中のほんの一部分の水が逆方向へと進んでいるように見えた。リルトは「?…」と思い凝視していたが、警戒しながら探検してここまで来ていたので時間が長らく経過しており、お腹が減っている事の方に意識を取られ出していた。そして、何も解らないので見間違えという答えを出し、家路を急ぐ事にした。意識が家へと切り換わると同時に母犬の重圧や束縛がリルトの脳裏から溢れ出し、家路を急ぐ足取りを重くしていた。家に帰らなければご飯が食べられない……家に帰れば母犬に叱られる……そんな事を思いながら、ふらふらと左右にくねりながら歩き家へと帰り着いた。

 玄関先では、いつも庭で遊んでいたリルトが庭におらず、心配で帰りを待っていた母犬がいた。それに気付いたリルトが、うつむいた顔で家の中へ入ろうとするや、
「どこで遊んでいたの!?しっかり毛繕いしてから入りなさい!」
と、お決まりの台詞を飛ばされて、嫌々ながらも仕方なく従い、毛繕いしている間も監視され、先程までの明るい気分はどこかへと消えて無くなり、暗い気分がリルトを覆い尽していた……。



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