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シューゲイザーと気

90年代名盤100選に入っていたアルバムの一つ、それを高校の遠足で行った上野で手に入れた。my bloody valenmtineのloveless。それは今後どんな音楽に出会おうと私が生涯でいちばん聴いたアルバムになると思う。
部屋で聴いているとクラシックファンの父に「これは音楽じゃない」と言われた。そうかもしれない。私にとってそれは音楽ではなく一つの思想だった。

30代でボディーワークに触れ、気というものの実感を得たときに、「これはシューゲイザーだ」と思った。パートの間を埋めるノイズ。媒介しているものそれ自体とともに全体になる。入れ物だった部屋が気で充ちる。体験は認識を塗り替える。

自分の作品は無意識に、形を作りながら隠す過程で創作している。布や紙はメディウムをその身体に取り込む。いま私が打っているキーボードと自分の指はどこが境界か。コップと机の境目は。空気とは何を指すのか。あなたは。わたしは。

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