ゴータマブッダはなぜ死ななかったのか?

今回は仏教の歴史で誰も解いたことのない難問の一つでもある、ゴータマはなぜ正覚した後にそのまま死んで涅槃に入らずに説法することにしたのかというテーマについて考察してみたいと思います。

結論から述べると、ゴータマは2500年前に既に死亡しているので、彼がなぜ説法をすることにしたのかという理由は分からないのです。

梵天勧請という逸話もありますが、今回はゴータマ自身の心情を推測して考察したいと思います。

以下は、個人的な考察になります。


一種の人体実験だった?

私が推測したところによると、ゴータマは正覚した後に、他人を被験者にして説法して指導して自らの悟りの境地と同じ涅槃に導くことで、自らの悟りの境地とその実践方法が普遍的な真理であることを証明する実証実験を行おうと考えた可能性があります。

理性的に考察すると、自ら修行して自ら悟ったというだけでは、特定の個人に起きた特殊な事例で終わってしまうのです。

その悟りの境地というものが、他の人間にも実証可能な普遍的な真理であるということを証明するためには複数の被験者を用いて実験して実証する必要があるのです。

複数の被験者を対象にして、説法や指導を行い真理へ導くことと、悟りに達した聖者の集団としてのサンガを作ることをもって、自身が正等覚者であることを実証することで正等覚者としての証明が完全に完了すると考えた可能性があります。

ゴータマの几帳面で完璧主義的な性格から分析すると、修行を終えた後の実証作業として他者に説法するという一種の人体実験をして自らの悟りの境地の普遍性や再現性を検証する必要があると理性的に考察した可能性は高いと思います。

これが一種の人体実験であることを誰にも言わなかったのは、被験者に余計な予備情報を与えることで実験の結果に影響が出ることを懸念して黙っていた可能性があります。


内の身=自身、外の身=他者、内と外の身=聖者の集団としてのサンガ

大念処経などの瞑想修行の経典に出てくる決まりフレーズに、「内を観て、外を観て、内と外とを観る」という三段階のステップで微細な観察することで普遍的な法則を洞察して真理に到達するというのが仏教の基本的な修行方法だとされています。

ブッダは理性と智慧を重視するので、他の宗教のように独りで勝手に精神修行のようなことをして妙な神秘体験や特殊な精神状態になることを悟りや解脱であるとは説いていないのです。

普遍性のある教えと実践方法ならば、他の修行者にもその教えと実践方法を指導して実行させたならば同じ結論に達するはずなのです。

おそらく、ゴータマはその様に考察して説法という実験をすることを決意したのだと推測できます。


実証実験が始まる

被験者を誰にするかと考察して、最初はかつてサマタ瞑想を習得するために師事したことのある二人の瞑想の達人の仙人を被験者にしようとしたのですが、二人の仙人は既に高齢だったのでゴータマが彼らと別れて修行に励んでいた数年の間に既に故人となっていたのです。

そこで、次の候補として一緒に修行していた五比丘を実験対象にすることに決めたのです。

余談ですが、途中でウパカという遊行者に説法をして失敗したことが記録されています。

五比丘を対象に説法と指導を行うという実証実験の結果、紆余曲折ありましたが五人の被験者が悟りに達したことでゴータマの悟った真理はゴータマという個人の内にだけ起こった特別なものではなくて、他の人間にも実証可能で再現性のある教法であることが証明されたのです。

しかし、五比丘を対象にした実証実験では、まだ被験者のバリエーションと数が少ないので教えと実践方法の普遍性を証明するにはデータが足りないとゴータマは考えた可能性があります。

出家男性修行者である五比丘を対象にした実証実験は終了したので、次には在家者であるヤサのグループを対象にして実証実験を行うという流れでゴータマの実験は続いたのです。

最終的には、出家男性修行者と出家女性修行者と男性在家者と女性在家の四種類のグループの複数の被験者達が四沙門果と呼ばれる四種類の悟りの段階に到達したのでゴータマの実証実験は大成功したということができます。(女性在家者が阿羅漢果に達した記録はありませんが)


実証実験が終わったので、ゴータマは死ぬことにした

「生存欲を断ち切って悟ったならば、説法などしてないですぐに死んで涅槃に入ってはどうでしょうか。」とマーラ(仏教と対立していた異教徒の比喩の可能性もあります)にしつこく勧請されたゴータマは、「真理の教えと実践方法を円満に説き終わって、男性出家修行者と女性出家修行者と男性在家者と女性在家者からなる大勢の聖なる仏弟子の集団(サンガ)が現れるまでは、正等覚者である如来は涅槃には入らない。」というような趣旨の返答してマーラの要請を退けています。

晩年に、マーラがこの発言の意趣返しとして「既に、真理の教法は円満に説かれ、男性出家者と女性出家者と男性在家者と女性在家者には幾百万の聖者の集団が現れました。尊師ゴータマよ、涅槃に入る時が来たのです。」と要請したことでゴータマは涅槃に入ることを検討したとされています。

ゴータマは先ずは自ら修行して正覚することで正等覚者となって、次いで他者を訓戒して悟りの境地に導くという実証実験によって教法に再現性があることを証明して、最後には実験対象を男性出家者と女性出家者と男性在家者と女性在家者の四種類の被験者に拡大して大量の聖者を量産することで教法の普遍性を証明したということができるのです。

ゴータマは、自らの修行を終えてゴータマブッダとなった後に、以上の三段階の論証法をもって自らが正等覚者であることを証明するために実証実験作業を行ったというのが個人的な考察です。

その正等覚者としての実証実験作業が終わったので、ゴータマブッダは死ぬことにした…言い換えるならば、目的を達成して生きている理由が失くなったので入滅することにしたのだと個人的には考察しています。

ゴータマは生涯をかけて、自らが正等覚者であるということを証明するための実験として様々な衆生に説法をして悟りに導き、その正等覚者としての実証作業が完了して満足したので涅槃に入ったのではないかと個人的には考察しています。


終わり

ここまで読んで下さった皆様に智慧の光が現れますようにと御祈念申し上げます。