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地球儀
8/10 地球儀のライブ映像が公開された
ファンの期待を重視してくれたのだろうか
アングルと編集に脊椎と地続きの雰囲気を感じた
ただ 私の記憶の中での地球儀は更に美しかった
アンコールの拍手が止み、暗闇と静寂と期待に包まれた会場
未発表の『私を見て(仮)』の時(ステージ後方セットの間)とは明らかに違う、ステージ前方にスタンドマイク
優しい色合いのグリーンのライティングが灯り
ステージ後方一面に、淡いタッチで描かれた 木々の隙間から見上げたような晴れた空
それを囲むように木々の葉が、白いレースのようなライティングで幾重にも重なり広がり揺れる
それはまるで額縁のようで、ステージ全体が一枚の水彩画のようで 息をのむ美しさで
誇張ではなく、今までのライブの中で一番美しく感じたライティング (ちなみにそれ以前では、脊椎オパール前半のアイネクライネのライティングが一番好きだった)
伸びやかな歌声の後ろ 風を感じる青空に鳥が飛び
Cメロで一転、夜空に変わる
蛍のような魂のような光が優しく瞬く
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi24
ナタリーの柴さんのインタビューで
このCメロ、『小さな自分の〜』の歌詞を入れる必然性と、この言葉に出会わなけば「もしかするとこの世に生きていなかったかもしれない」という言葉を知る
ライブでは暗闇の中 光が揺らぐ夜空だった意味
(「闇の中のまたたく光」)
そこから大サビで一気に光が差し
明るく世界は開けてゆく
それは『圧倒的に祝福を感じる』ことの体現であり、希望であり 生への肯定であり
緊張を感じるほどに丁寧に歌われた歌声と相まり、両手で握りしめたもの中にある大切に大切していたものをそっと見せてもらったような感覚
ほんのりとした温かな多幸感
…消えかけていたけれど、そんなライブでの記憶
徒然に
『「僕が生まれた日の空は」で始まる歌詞だから、本当は死ぬところまで入れたかったんです。「僕が死んでいくときの空は」って。』
それを踏まえての、もしくは補完としての
オープニングとエンディングのあの羽ばたきのアニメーションであるのかな、と
インタビューを読み
この歌の世界は、祝福の体現であらねばならなかったのだなと、願うのはその祝福の連鎖であるのだろうな、と 改めて思う
青鷺が飛び去った後入る、鳴り止まぬ拍手の音を聴きながら思う
【この世は生きるに値する】
インタビューを読む前のあの瞬間には気づかなかったことだけれど、
今なら全てあの日の、空想に助けられて生きてきたというMCから受け取ったものともリンクしていたことに、今更ながらに気づいた
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