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藤田潤也と澱と葉の最近

ひさびさの投稿をしようと思います。

ものすごく間が空いてしまった…。
いろいろアウトプットの方法を模索しているのですが、なかなか良い感じの媒体が自分の中に見つからず、結局そのままという中途半端な状態がいくつもある。

音声もやってみたんですが、なかなか続かず。
結果考えながら書けるnoteが一番良い気がすると、帰ってきました。

まあ、気ままに更新しようと思います。

さて、最近のことを報告しようかと、このnoteを書き始めたけど未だ決まらない。せっかくだから最近あったトピックは箇条書きに書こう。

・餃子屋回をオープンした。10月09日
・弘前アートプロジェクト 「アートポリネーション」に展示 12月初旬
・vilaaidaさんに食事しに行けた。12月中旬
・年越し
・澱と葉 新規会員のお休み
・澱と葉 慢性的なコンセプト練り上げ件、場所探し開始
・誕生日1月11日 29歳になりました。
・1,2,3月 「回」にとってしんどい時期が続く。
・vilaaidaさん、萌菓さんコラボイベントに行けた。3月中旬
・里山十帖さん、遠野や 要さん コラボイベントに行けた。3月末
・回の水餃子、鶴の里あるじゃに納品契約 4月初旬
・4月 「回」に人が来るようになる。
・「回」 365standardcafeにて出店 4月
・365standardcafe ファーマーズマーケット出店 回の商品取引が開始  5月
・百石高校 職業講話 5月

と、こんなところだろうか。
もっともっといろんなトピックはあったけども整理したいところはこんな感じです。

このなかで、自分的に一番のトピックは

・澱と葉 慢性的なコンセプト練り上げ件、場所探し開始

の、この部分。

いろいろな縁でvilaaidaさんや、里山十帖さんに行けたのは自分の中で、哲学というか芯というか、そういったものを考えるよい機会になったと思う。

和歌山 岩出市 50BEST asia's no14
小林ご夫妻 僕は緊張して全然しゃべれず…。
12月にお邪魔して、ハウスだとしても緑がいきいきしてる。
青森とは別の国では?と思うくらい
キャベツ。12月なら青森は雪室か、雪に埋まってる。
多種多様な植物に囲まれている。
iが綿毛、種になってるってこれだけであり方を伝えている凄いデザイン。
えへへ。おいしい
これは3月にお邪魔したとき。感動した。
ちょっと大盛になってた。優しくて泣きそう。相変わらず僕はおどおどしてました。
かんきつと味わいの賑やかさに南を感じる一皿
感性や技量の幅を持っているような一皿。お洒落だった。
色とりどりの野菜は食材をニガヨモギの苦みが全体を引き締めている枠のような。そんな一皿。
イカ墨のパスタ。あの詩子がおいしいおいしいと食べていた。
萌菓さんの一皿。萌菓さんをもっと知りたくなった。
所変わって、新潟
日本という地、新潟という地を感じる設え。里山十帖。
遠野や 要さんとのコラボ。カジカ初体験。
全村餓死というテーマからあるものしか使わない潔さ。僕が冬の料理作るときに似ている。
全体を通して、保存と知恵の文明度を感じさせるお料理
玄米おにぎりとお湯。米というものに神聖を感じる。大切にしているというか。
納豆、梅干し、卵。この組み合わせは自分の中には無い引き出しだった。
米とぬか漬けのこんにゃくがひたすらに旨い!胡桃のシロップが味わいにアクセントを添えていた。風土を感じさせる。
ヨモギと蕎麦がき。これは本当においしかった!
たくあんのポタージュ。どうやるんだろう…。

もちろん「回」の経営でも自分を成長させる良い機会になった。
こういってはなんだけど、本当に自分は経営者やリーダー、トップという人間からは程遠く、どこまで行っても「なにかを作る人」なのだと感じることができた。
そういう意味では、仲間たちにはめちゃくちゃ迷惑をかけているし、本当に助けてもらっているなあ。っと実感した。
ありがとう。

その中で、僕がここ最近考えたことは、こんな感じです。

・澱と葉は、場所を作ったら名前を変えるべきだ。
・青森でやるなら、美しさ、寒さ、陰鬱さ、辛さ、閉鎖感、春の喜び、夏の発散、自然がもつ「在る」という実感、そういったものを表現した方がいい。いや、表現したい。
・ここで、自分にしか表現できないものをカタチにする。
・ただ「在る」を肯定する場を作る。
・自然と友になる。自然に自然を感謝する。
・多様性やサスティナブルではなく、循環と存在を許す場。
・料理を通した言語を。
・場所は飲食店の枠組みに嵌った料金体制にはしない

この後の写真は青森(ほぼ津軽)で撮ったもの。
先ほどの、外との対比でみると違いが感じやすいかも。

雪深い青森
荒れている鰺ヶ沢
長い冬の終わり
秋のやまやま
十三湖 風力発電が木のようにそびえたつ
山の景色
山の景色
山の景色。人が手入れができなくなってきている。下草に細い木の乱列。
山の恵み
湧き水
山の中での祝祭性
根曲がりたけ堀のさなか
津軽塗。工芸。文化も青森にある。
ぬらぬらがきれい。
青みが強い。生命がいるとは思えない冷たい冬の海。
夏。桑の実。
冬のごちそうとして。とっておいた豆で豆腐作り。


先ほどの箇条書きには説明が必要な気もする。

まずはこれ
【・澱と葉は、場所を作ったら名前を変えるべきだ。】

澱と葉は、あくまで活動というか、そのコンテンツに即した名前であり、場所につく名前ではないなっと前々から思っていました。
これは、あくまでその時間や、その人対人との間に流れる三次元空間を終えたときにある自分が「澱と葉」だから。
たぶん、本当は名乗るときに「澱と葉の藤田潤也です」ではなく、
「澱と葉こと藤田潤也です」な気がする。

そもそも場所は必要なの?と聞かれることもあるのですが、
これに関しては、やっぱり必要でした。
仕事場、アトリエ、撮影場所、研究場所、表現場所これらを内包しているキッチンとダイニングですが、今は生活空間件、事務所すらもないほうしてきていて、もはや手狭になっています。
僕自身の創作活動を守るために、絶対的に必要だと感じました。

それで、その場所を作ろうと思ったのですが、そのためにはコンセプトの練り上げ、場所の選定、必要な設備と空間の組み立て、資金調達などなど、さまざまな課題がでてきます。
それらの解決策なんか、まったくないですが(笑)
なぜか、絶対に必要だから絶対に作ろうと思っています。

まあ、そんなこんなで今できることは、なにかで言ったら
コンセプト練り上げとその場所の名前決めです。
そのコンセプトと名前は、その次の

・青森でやるなら、美しさ、寒さ、陰鬱さ、辛さ、閉鎖感、春の喜び、夏の発散、自然の「在る」という実感、そういったものを表現した方がいい。
・ここで、自分にしか表現できないものをカタチにする。
・ただ「在る」を肯定する場を作る。
・自然と友になる。自然に自然を感謝する。
・多様性やサスティナブルではなく、循環と存在を許す場。
・料理を通した言語を。
・場所は飲食店の枠組みに嵌った料金体制にはしない

これらのものを内包したものになっていると理想的です。

実は漠然と2年位前から考えてはいて、
それが、この前固まりました(笑)
なので、コンセプトと名前はもう八割決まっています。
お楽しみに。

そうなってくると、あとはどうやって人に伝えるか、
そのタイミングは、いつが適切か?が問題になってきます。
僕に近い人や仲間には少しづつ伝えています。

これを早くみなさんに言いたい欲が強いです。(笑)
早くそのチャンスを自分のものにしようと思います。


とまあ、今はこんな感じです。
ここに、最近は【肩の力を抜いて料理をする】という漠然とした目標があります。
最近気づいたのですが、僕はどうやら気合や力を入れようとするとうまく良さがでないというか、空回る傾向にあるようです。
すこし力を抜いて、物事に取り組むとなんだか結構うまくいくようになりました。

余白や余剰というのは自分自身の安定を図るためには必要なものなのだと知ることが、ここ最近の成長具合だと思います。

それでは、また。



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