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CFCF "memoryland"

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カナダ・モントリオール出身のプロデューサー Michael Silver のソロユニットによる、1年8ヶ月ぶりフルレンス5作目。

「昔を懐かしむ」という行為はとかくネガティブに捉えられがちなように思われる。前向きではない。生産性がない。現実に向き合っていない。いや、本当にそれだけだろうか。音楽に話を限ると、例えば思春期の頃に流行していた音楽を聴き、改めて良い曲だとしみじみ実感し、その曲にまつわる思い出や人物を脳裏に浮かべたりする。そこにはノスタルジーによって自分の心を慰撫する以上の意味はないかもしれない。だが昔の音楽は永久に形を変えないが、それを聴くリスナーは加齢によって中身も変わる。鳴る音のひとつひとつが、歌詞の印象的な一節が、長い時間を置いたあとでは以前と違った響き方になることは往々にしてある。この再解釈によって、自分の中で変わった部分と変わらない部分を同時に自覚し、結果として自分という人間への解像度が高くなるのである。

リバイバルにしても似たようなことが言えるのではないかと思う。ひと昔前に隆盛だったジャンルが再度掘り起こされてトレンドになるといった現象は頻繁にある。その「ひと昔前」が自身の思春期とぴったり合致していた場合には、聴き手は自分の音楽的嗜好の変わらない根幹がどこにあるかを再確認し、それと同時に、自分がリバイバル勢のどの部分に目新しさや意義を感じるのかを発見する。そうして自分の内と外を自認することが音楽の好みの幅を拡張し、アンテナの感度を保つきっかけにも繋がっていくはずだ。

ここで自分の話をすると、音楽鑑賞を趣味にしてからおよそ20年ほどが経過し、しかも様々なジャンルを浅く広く搔い摘んでいくような聴き方をしてきたせいか、最近の音楽を聴くとだいたいは「この曲は〇〇っぽいな…」と、過去に愛聴していたミュージシャンの誰かしらと脳内で関連付けて処理してしまうクセが身についてしまっている。そのため本当に真新しいと感じる音楽に出会うことは、まあ全くなくなったとまでは言わないが、昔に比べれば確実に減ってきた。だいたいの音楽は誰かのリバイバルなのだ。ただ、過去の音楽が今のミュージシャンの感性で再構築され、それを今の自分の耳で受容するとなると、そこにあるのは決して懐古の安心感だけではない。刺激に満ちた新鮮味だけでもない。両方がある。この「両方を同時に味わう」という技は、それなりにインプットを増やしながら加齢してきた人間だけに許された特権ではないだろうか。そう考えると、加齢すること、昔を懐かしむことも決して悪いばかりではないように思う。

そこで、今回の CFCF である。

このたびの新作 "memoryland" には見事なまでに古めかしいジャンルばかりが陳列されている。"Life is Perfecto" はドラムンベース。"Nostalgic Body" はジャングル。"After the After" は2ステップ。"Night/Day/Work/Home" はトランス…と言うか "Born Slippy .NUXX" 。"Self Service 1999" はフィルターハウス…と言うか "Around the World" 。そして "End - Curve of Forgetting" に至っては "Girl/Boy Song" と "Block Rockin' Beats" まで。もっと造詣の深い人が聴けばまだまだ仕掛けを見つけられるかもしれない。とにかく、90年代を彩ってきたエレクトロミュージックの数々が片っ端から散りばめられた、もはや特定の層を悶死させようとしているとしか思えない内容なのだ。楽曲ごとにそれら引用元があまりにも軽やかにスイッチされていくものだから、なんだか自分は初期の beatmania で全曲を制覇するためにゲームセンターに入り浸っていた学生の頃を不意に思い出してしまった。

さらにはエレクトロに留まらずロック要素も随所に加味しているのだが、同郷モントリオールのインディバンド No Joy を招いての "Model Castings" はシューゲイザー/ドリームポップ。また1分半の箸休め的な "Punksong" にしても、パンクと名乗っておきながらふくよかな厚みのあるノイズギターは即座に My Bloody Valentine を思い出させるしで、結局は90年代から一歩も外に出ていない。CFCF 自身は1989年生まれとのことなので、90年代の音楽はリアルタイムではギリギリかすっている程度、ほとんどは後追いかと思われるが、いやはやこの徹底っぷりは直撃世代の思い入れすらも凌駕するほどだろう。

しかしながら、今作はただ無造作にアンティークを並べただけの代物ではない。アルバムの始まりから終わりにかけて確かな一本の流れが存在し、全体には不思議と一体感があるのだ。この一体感はサウンドプロダクションの面によるところが大きいと思う。聴き手を立体的に囲い込むような音響性を構築しつつ、低音の圧は意外と薄めで、どちらかと言うとむしろ上モノのポップさに重きが置かれているように感じる。心地良い清冽さと豊かな色彩感覚がどの楽曲にも通底し、それこそ新手のエレクトロ・シューゲイザーかというほどの幻想的な美しさも表れ、その中に多彩なリズムパターンを通すことで緩急をつけていくといった構成。夢見心地な感覚とリズムの高揚感だけは常に持続しているため、90年代という時代がこの上なく豊潤で輝かしいものであったとして淡く美化されており、楽曲を頭から続けて聴いていると、その美化された思い出の中を自在にタイムトリップしているような錯覚に襲われるのだ。

アルバムの実質的なクローザーを担っているのは "Heaven" 。みんな大好き英国産 J-POP バンド Kero Kero Bonito の Sarah がボーカルを務めている。これまでに披露してきた音楽性、思い出の全てを燃やし尽くして浄化するかのごとく、清らかな音が立ち昇り、夢の中から呼びかけるように歌声が流れてくる。「また会えるよ/さようなら/翼を広げて飛び立とう」と。生きていくために思い出は必要だが、思い出の世界だけでは生きていけない。ノスタルジーは甘美であると同時に中毒性があり、用量を間違えれば体に害を及ぼしてしまうことを、CFCF は十分に理解している。我々は前に歩を踏み出して生きて行こう、必要になったらまたおいで、というメッセージ。コンセプトの締めくくりとして出来すぎではなかろうか。全16曲72分の大ボリュームで古き良き時代を腹いっぱいに堪能したら、最後に残るのは今現在の自分をやっていかせる活力である。もちろん90年代を全く通っていない人でも、自分がリアルに嗅ぎ取ることのできなかった時代の空気に永遠の憧憬を抱くように、ここにある音の全てが新鮮な刺激として響くはずだろう。いずれにせよ今作は聴き手の意識を現実の向こう側へと案内してくれる、甘味と苦味に満ち満ちた傑作である。

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