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Indigo De Souza "Any Shape You Take"

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アメリカ・ノースカロライナ出身のシンガーソングライターによる、2年2ヶ月ぶりフルレンス2作目。

"エモ" とは、"エモい" とは何だろうか。もはや流行しすぎて "ヤバい" と同程度の軽さにまで成り下がった感のある "エモい" だが、もう少しじっくり言葉を噛み締めてみたい。エ・モ・い。かの Ian MacKaye は自分の作った音楽に "エモコア" なるジャンル名をあてがわれた際、エモコアだなんて馬鹿馬鹿しい、音楽のスタイルは人によって様々だが、エモーショナルでない音楽などないだろうと猛反発した。エモーショナルでない音楽はない。そのエモを表現する手法には、それこそ膿んだ傷口を見せびらかすように激情をわめき散らすものがあれば、美しく劇的なメロディに昇華するものもあり、あえて音数やテンションを抑制して逆説的にエモを無音の隙間に滲ませるものもある。何にせよ、すべて等しくエモいことには変わりない。Ian は正義だ。ではこの Indigo De Souza はどうか。やはりエモい。ただ彼女の場合は、音楽的にはロックを一番の軸としつつも、先に挙げた3つのエモの発露方法、それらのちょうど中間地点に身を置いている…と言うよりは、曲に合わせてその3つの狭間をゆらゆらと行き来し、硬軟の質感をフレキシブルに変化させるといったスタンスを取っている(アルバム表題の「どんな形でもいい」とはこの柔軟さ、多様さを差しているとのこと)。しかも楽曲から受ける印象の限りでは、それが器用な計算と言うよりも、かなり本能的、生理的な快楽原則に沿いながらナチュラルにこなしているように感じられて、聴き終えた後にはそのエモ表現の雄弁な説得力に、自分はすっかり圧倒されてしまっていた。

まず歌詞に着目してみる。彼女のインタビューを探すと「自分の中にある思いを正確に伝えたいといつも思っている」と述べているのを発見した。まさしく有言実行である。今作における彼女の歌詞は、いずれも実にストレートで、簡潔で、別の思惑を付け入らせる余白がない。例えば冒頭 "17" では「あなたが望むなら私はここにいる、助けてみせる」「あなたが望むなら私はここから出ていく、迷惑はかけたくない」、また「あなたが血を流せば私が赤に染まる」とまでに献身的な姿勢を露わにする。さらに "Die/Cry" では「あなたが泣くのを見るくらいなら死んだ方がまし」「あなたが死ぬより先に私が死ぬ方がいい」と追い打ちが入る。"Way Out" では「苦しい時は私があなたを抱き締めよう」「あなたがどんな形であろうとも、私はあなたを愛するでしょう」と底なしの慈愛を湛える。心の中を洗いざらい開放して生まれてきた、身も蓋もないほどに率直な表現によって、彼女は他者と繋がり、通じ合うことを望んでいる。特にリスニングが得意なわけでもない自分でも、曲を聴きながらメッセージがはっきり耳に引っかかってくるくらいだ。あまりにも言葉の強度が高い。

しかしながら、歌詞の強度が一貫しているのとは対照的に、曲の方はジャンルの境目をゆらゆらと横断し、ひとつの質感に留まることをずっと拒否し続けている。"17" は Frank Ocean を思わせるアンビエント R&B 調で「こういうタイプの作品か…」と思っていたら、次の "Darker Than Death" ではかなりゴツめに歪んだギターサウンドを叩きつけてきたり、"Die/Cry" ではもう少しフォーク寄りの牧歌的なインディロックに仕立てたり、その他ではエレクトロとバンドサウンドの割合が半々でどことなくニューウェーブ感も滲み出ていたりと、とにかく楽曲によって音作りやアレンジの方向性がまちまちなのだ。これはもちろん各々の歌詞の内容に合わせて曲調を変化させているということだし、その姿勢をアルバムタイトルで象徴しているくらいだから、意識的な狙いなのだとは思う。だがそれにしても、アルバム全体の中では異色な作風の "17" を頭に据え、そこから曲調をロック~エレクトロニックの狭間でぐねぐねと変容させ続けているのだから、正直言ってスムーズな流れとは言えないし、何なら奇妙な居心地の悪さが全体に通底している。

ただ、それが悪いとは全く思わない。むしろその変容し続ける曲調とソリッドな歌詞の合わせ技によって、彼女の歌がより一層生々しさを増して響いてくる気がする。と言うのも、このアルバムのダイナミックかつ不安定な起伏に身を委ねながらメッセージの数々を聴いていると、決して彼女が揺るぎない自信を持って一切の迷いなしに言葉を発しているわけではなく…いや言葉を発すること自体には迷いはないのだろうが、その言葉の端々には逡巡や恐怖、微細な感情の揺れが少なからず含まれているように見えてくるのだ。その "揺れ" こそが楽曲のリアリティを強靭なものにしている一番のエッセンスだと思う。切々と言い聞かせるような穏やかさから、コップの水が表面張力を越えて溢れ出すかのごとき昂ぶりへ。その音楽的な移行がぎこちなく不自然(≒自由)だからこそ、簡単には落ち着いてくれない彼女の中の獣のような衝動に輪郭が宿り、ある種の人間味が深みを増して響いてくるのだ。

それで、自分が今作の中で最も食らったのがクローザー "Kill Me" だった。この曲はちょっといくら何でも危険だ。曲序盤で微笑ましい家族の群像がさらりと描かれたのち、その微笑ましさを自ら完全に否定し、何の比喩でもなく文字通りに「殺してほしい」「綺麗さっぱりなくしてほしい」、挙句の果てには「脳ミソが蕩け出るまでファックしてほしい」とまで。ほとんど自暴自棄、退廃の過剰なブースト状態だ。そう言えば2年前にリリースされた前アルバムは "I Love My Mom" と名付けられており、きっとそのタイトルにも嘘はなかったはずだが、この曲のせいで何だか嫌な文脈が後付けされてしまいそうな気もする。ところが、やけにあっけらかんとした曲調のせいか、この曲にあるのは絶望や苦悩といった袋小路のダークネスではなく、むしろ苦悩からの解放感、悦びのムードが前面にある。歌詞中の彼女は幸せを手にしたのか?長閑な日常に満足できなかった人間は、いったいどうすれば幸せになれるのか?生と死の欲動がドロドロに渦を巻く、特濃のカタルシスだ。

今作に収められたエモーションの数々は他者と繋がるきっかけになるかもしれないし、逆に他者を傷つける刃となってしまうかもしれない。しかしそれでも彼女は可能性を信じ、エモーショナルであることを止められなかった。表面的なスタイルは関係ない。"Any Shape You Take" に収められた音楽、その表現の豊かさは紛うことなく "エモ" そのものだった。

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