見出し画像

Iglooghost "Lei Line Eon"

画像1

イギリス・ロンドン出身のプロデューサー Seamus Rawles Malliagh のソロユニットによる、3年半ぶりフルレンス2作目。

情報によると Iglooghost はこの1年ほどの間、今では失われてしまった彼の生まれ故郷の伝統音楽である "Lei Music" なるものの研究にずっと勤しんでいたらしい。Lei Music は目には見えないゾーンから聞こえる奇妙な鳴き声の持ち主を召喚する能力を持ち、この世とあの世の間に小さな裂け目を作る役割を果たしていた可能性もあるそうで、その Lei Music をラップトップ上で再現し、最新型のエレクトロニック・スタイルで提示したのが今回のアルバムなのだという。もっと詳しい内容については特設サイトに貴重な写真や図を交えながら独自の研究成果が随時アップされているので、そちらをご参照あれ。自分は「これヤバいやつだな…」と察知し、途中で読むのをやめた。

それはさておき。

前作 "Neō Wax Bloom" は Flying Lotus が主宰するレーベル Brainfeeder からリリースされているのだが、その際に FlyLo は Iglooghost を「彼こそ次世代の Aphex Twin だ!」と称していたらしい。なるほど。Aphex Twin と言うか厳密には "Richard D. James Album" で、その中でも "Girl/Boy Song" が特に大きな着想元になっているのだと思う。フリーキーで暴力的なビートと、ストリングスを多用した牧歌的な美しさのメロディ。Iglooghost はそれら美醜のダイナミックな対比法、ポストクラシカルと前衛的エレクトロサウンドを融合させる手技の精度をさらに高め、耽美的で深遠なスピリチュアル・ワールドへと発展させていく作風を披露している。また前作ではファニーな遊び心の方が強く、ビートをとことん弄り倒しながらテーマパークのごとく雑多でカラフルな世界観を打ち出していたのが、今作ではストリングスの持つ厳かな響きを前面に押し出し、アルバム全編通じてシリアスな緊張感を漲らせた内容となっていて、根幹には Aphex Twin の面影を感じさせつつも、そこから大きく飛躍したオリジナリティをここに提示している。

しかし、個人的には Aphex Twin よりももっと適切な比較対象として、ひとつ思い当たる節がある。world's end girlfriend である。まあ weg にしても結局は Aphex Twin の遺伝子を引き継いでいるはずなので大きくは変わらないかもしれないが、この作品を聴いて自分は weg 、中でもクラシカル(またはポストロック)方面への大胆な接近を図ることで、美麗かつ壮大、そしてどこかグロテスクな幻惑世界を築き上げた2001年の傑作 "farewell kingdom" を思い出さずにはいられなかった。いや別にパクリだのなんだのと騒ぎ立てるつもりは毛頭ない。もちろん細かい部分を突いていけば差異は多く見つけられる。だがそれを差し引いても、これはちょっと偶然では済まされないのではないかというほどに、目指している地平が weg と近似しているのだ。そのため、かねてからの weg ファンである自分は今作を聴きながら、なんだか実家に帰省したときのような懐かしく恋しい気持ちに、すっかり飲み込まれていたのであった。

ただ、weg の場合は基本的にオーケストラサウンドを主幹に置き、そこに飾りをつける(汚す)目的で電子音が付加されているのに対し、Iglooghost は主幹に電子音があり、そこにオーケストラサウンドが装飾として絡みつくという、微妙なベクトルの違いがあるように感じられる。これはおそらくダブステップやトラップといったベースミュージックを通過しているか否かの違いかと思うが、この "Lei Line Eon" では迫力ある低波長とビートのアタックの強さがどの曲にも共通してあり、楽曲の骨組みどころかむしろメインを張るくらいの存在感を発揮している。上に貼った "Sylph Fossil" は特にわかりやすい例だろう。もはやブロステップかというくらいにリズムは野蛮にうねりまくり、音の飛礫が不規則かつ多角的に鼓膜へと突き刺さってくる。音数を減らしたぶん個々の音の太さ/鋭さを鍛え上げた音像で、聴きようによってはインダストリアル的とも捉えられるし、あるいは Arca や Sophie 以降の新世代 IDM 、ともすれば新手のハイパーポップとも言えるか?とにかくビートの冷徹な攻撃性に怖れの感情すら湧き上がるほどなのだ。女性ボーカルを明確に導入してポップな色合いを見せる "Pure Grey Circle" や "Light Gutter" では Aphex Twin を通り越して近年の Björk も想起させるが、可憐なメロディを立てながらも、やはりビートの主張は途切れることがない。

そしてそこに絡みつく流麗なストリングスは、音の質感的には電子音とはまるっきり水と油の関係なはずだが、弦楽隊の醸し出す清らかさとビートの圧が手を取り合って連結し、不思議と互いを相乗効果で高め合っている。この両者がここまで綺麗に絡んでいるのは、きっとこちらの想像を絶するほどに緻密なミキシングを施しているのもあるだろうが、表面的な質感は違っていても結果的に聴き手に抱かせる印象がどちらも同じ、というのが大きい気もする。上モノにしてもベースにしても、常に人肌の体温を感じさせず、迂闊には近寄りがたい聖性と狂気的な魔性が同居したムードをまとい、この世ならざる神秘的な世界観を構築するための素材として機能している。ベースにはダンスミュージック由来の要素はあるが、それが聴き手を踊らせる風には全くもって作用しておらず、むしろ荘厳なストリングスと合わさって、聴き手を圧倒、萎縮させる方向に働いている。用途が共通しているのである。

緊迫した空気が終始継続し、息継ぎできる瞬間がほとんどないため、おいそれと手を出しにくい印象は正直ある。ただそのぶん作風にブレはなく、彼がどのような美意識を持ち、どのような世界観を目指しているかは痛烈なほどに伝わってくる。ある意味で職人気質と言うか、自分のポリシーを一切の妥協なしに追究し、なおかつその生真面目さが自分などには予測のつかない明後日の方向へと結実している。この姿勢もまた world's end girlfriend の佇まいに通じるように自分には見えるが、誰それ云々を抜きにしても今作は十分に、ストレンジな、それでいてタイムレスなプリズムの輝きを放つ力作であることは間違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?