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박혜진 Park Hye Jin "Before I Die"

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韓国出身、ロサンゼルス在住の DJ /プロデューサーによる初フルレンス。

オープナー "Let's Sing Let's Dance" の時点で、不意に手を掴んで引っ張られるかのように、曲の中にグッと引き込まれる。軽やかでさりげない切なさを香らせるピアノの音色と、対照的に太めの粘っこいアタック感が効いた4分打ちキック。今作では歌やラップも全て彼女自身が担当しているが、この曲の韓国語で歌われるバースを訳せば「私は悲しい日に歌う」「こんな晴れた日には、あなたと一緒に歌いたい」となる。余計な修辞を省いた端的な言葉で、遠く離れてしまった人に思いを馳せ、歌い、踊る。歌声がとても他者に語りかけているとは思えないテンションの低さなのも納得だ。「歌い、踊ろう」とはダンスフロアのオーディエンスに対する扇動ではなく、悲しみを拭うために、きっと自分自身に言い聞かせているものだろう。

端的な言葉と書いたが、今作に収められている楽曲はいずれも1曲ごとにワンイシューと言うか、曲名以上のことはほとんど言っていない。とにかく狙いが明確に定められており、それ故に言葉の持つ強度が高く、ナイフのごとき鋭利さを持ってストレートに聴き手に刺さってくる。"I Need You" やアルバム表題曲 "Before I Die" でも今ここにはいない大切な人への思いが率直に綴られていたり、"Me Trust Me" では「自分を信じてる」という言葉がセルフボーストと言うよりも不安や逡巡をどうにか振り切るための自己暗示の様相を呈していたり、中盤 "Can I Get Your Number" "Sex With Me (DEFG)" はもはや開けっ広げすぎてああこりゃこりゃという感じだ。いずれにしても今作での歌詞は喪失感や孤独感が根底にあるように思われるし、それは聴き手へのメッセージの体を成しておらず、頭の中で渦巻く思いを整理せずにそのまま体外にトレースしたかのような生々しさが際立っている。

その生々しさに伴ってか、トラックはビートの存在感が強く、先にも書いた通り太めで粘っこいアタック感、ソリッドな輪郭が浮かんでいる。そして上モノは必要最小限。音どうしの隙間も大きい。もちろんダブ的な音響処理など緻密にこだわって調整している部分はそこかしこに見られるが、総じてはまるでパンクソングのように、えらくシンプルでラフな印象を受ける。ミニマルテクノやトラップのグルーヴによる肉感的な心地良さは十分ある。しかしその熱量は冷ややかなサウンドデザインと内省的な言葉の数々により、大勢のオーディエンスを脳内喚起させるような広がりには向かわず、あくまで聴き手個人の内に内にへと収束していく。生理的な言葉の発露にインスパイアされ、自分が本当に求めているものは何か、またそれは自分とどれほどの距離があるかを、自然と再確認させられるのだ。ある程度ワクチンが普及したとは言え、新たな変異株の発生もあったり、かつての幸福な現場を取り戻すとまではなかなかいかない現状の中で、今作は音と言葉を含めて痛々しいほどのリアルな質感を持って迫ってくる。

ただ彼女はここで悲観的にばかりなっているわけではない。寂寥に取り囲まれ、身近にウイルスという死の影が忍び寄っている状況の中で、あくまでも彼女はストラグルを試みている。それこそ "Before I Die" 、死ぬ前に何が残せるだろうかと。最後の曲が "I jus wanna be happy" なのも象徴的だ。韓国語で溜め息のように何度も何度も「幸せになりたい」と繰り返す彼女は、ひたすらに自分自身と対峙し、未来へ続く道を模索し続けている。このアルバムにあるのはパク・ヘジンによるパク・ヘジンのための曲ばかりだ。セルフセラピーと言っても良いかもしれない。外に向けられてはいない。しかし外に向けられていない=外に届かない、ではない。むしろ一貫してパク・ヘジンという個の人間を見つめているからこそ、同じ個の人間である聴き手とも共振し、響く部分がきっとある。本当の連帯とはそういうことだと思う。このアルバムは失われたダンスフロアの完全なる代替とはいかないが、聴き手をどこかに向かわせる原動力には成り得るはずだし、それだけの魅力があると自分は信じる。

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