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Japanese Breakfast "Jubilee"

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韓国・ソウル出身、アメリカ・ペンシルベニア在住のシンガーソングライター Michelle Zauner のソロユニットによる、約4年ぶりフルレンス3作目。

アルバムを一巡聴き通して、とにかく「自由」という印象が残った。いや冷静に考えるとそこまで自由ではないかもしれない。五線譜上のポップソングという縛りは当然あるし、ロックバンド在籍時から現在のソロ体制に至るまでのキャリアの中で、彼女の持つ個性の大まかな枠組みが良くも悪くも確立され、この新作もそういった枠組みの中にある程度収まるものだとは思う。ただそれにしても、今作における彼女の歌声や立ち振る舞いはあまりにも軽やかで、感情の機微に富み、目がくらんでしまうほどに鮮烈なのだ。その姿に自分はある種の自由を、確かに覚える。

Kate Bush を意識しつつ、今敏監督の映画 "パプリカ" にもインスパイアされたというオープナー "Paprika" は、"祝祭" と題されたアルバムの幕開けとしてこれ以上ない出来栄えだ。マーチングドラムが高鳴る鼓動の熱さをダイレクトに伝え、ストリングスとホーンセクションが優雅に舞い踊り、さらにはドリームポップ風の豊かな奥行きも兼ね備えたアレンジ。冒頭部では「夢から覚めた」と歌いつつ、「言葉や音色の魔法の中心にいる気分はどう?」と語りかけてくるのだから、聴き手は必然的に夢見心地の恍惚に没入せざるを得なくなる。いやこの夢見心地こそが現実ということか。いつの間に世界はこんなに美しくなったのだ?続くリードトラック "Be Sweet" では80年代風味のシンセポップに路線をシフト。洗練されたファンキーなグルーヴと可憐なメロディの取り合わせは当たり前のように相性抜群で、否が応でも胸が躍ってしまう。例えば Chvrches や Hayley Williams の近作などにも通じる音楽性で、この手の80年代リバイバル感は今や一過性のトレンドを通り越し、ある種のスタンダードとしてすっかり定着したように思うが、最近のインディロック界隈では再度注目を集めていたりするのだろうか。

牧歌的で洒脱なカントリー調の "Kokomo, IN" 、スタイリッシュな4分打ちに憂いたっぷりのジャジーなサックスが良く絡む "Slide Tackle" を経て、第二のリードトラック "Posing in Bondage" に至る。ドキリとさせられる曲名だが別に SM 賛歌ではなく、もっと広義での「拘束」、つまりパートナーとの精神的な繋がりを意味したものだろう。誰かと繋がるということは誰かに囚われるということでもある。その心地良さと切なさの間で揺れる心象が、まどろみのような陰翳の深いシンセサウンドにどっぷりと溶け切っている。その後も、音の濃密さがシューゲイザーの領域にまで達した "Sit" 、対照的に今作中最もキッチュな仕上がりの "Savage Good Boy" 、ふくよかで暖かなストリングスが映えるチェンバーポップ "Tactics" など、巧みに意匠を変えて緩急をつけながら、彼女の世界観はカラフルさをどんどん増していく。この柔軟で自由度の高いスタイルが非常に刺激的だった、という意味での「自由」がまずひとつ。

歌詞について。癌を患って亡くなってしまった母親への思いを綴った1作目と2作目から打って変わり、ここではアルバム表題通りに祝祭、幸福が全体のテーマであるとのこと。だが今作の歌詞中の登場人物はいずれも、両手いっぱいの幸福を謳歌しているわけでは決してない。むしろ思い悩み、逡巡している場面の方が多く見受けられる。遠く離れてしまった恋人に思いを馳せたり、心の中の隙間をなんとか埋めようともがいたり、また "In Hell" に至っては「運が良ければ1年以内にあなたは死ぬだろう/もう恐れるものは何もない」とまで歌っている。ひどくヘヴィな愛憎の果てのようだ。しかしながら全ての曲に共通しているのは、そういったネガティブに映る感情を織り交ぜながらも、それぞれなりの幸福の形を追い求めているということである。クローザー "Posing for Cars" が最も象徴的だ。迷い、悲しみ、時には打ちひしがれたとしても、諦めきれずに幸福の在処を探し続けている。思うさま明け透けに心の内を吐露した内容は、長い時間をかけて壮大に膨れ上がっていくアウトロの演奏と相まって、エモーショナルかつ切実に響いてくる。

音のみを聴けば一見上品にまとまっているように見えるが、その内実はむしろ泥臭い感情の様々が渦巻いており、何ならカオティックですらある。そういった音と言葉のギャップに囚われず(と言うよりもそのギャップを生かしてか)、己の考える幸福像とまっすぐ対峙する姿勢を曝け出し、その上で美しくしなやかに歌う彼女の姿を見ていると、自分はそこにも「自由」という印象をやたらと強く受け、思わず涙が落ちそうになってしまうのであった。光と影を湛えながら因習ではない自分だけの方法で幸福を目指す、その最中にはきっと輝かしい自由が存在するはず、いや自由であってしかるべきだと思う。大きな喝采を送りたい。

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