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a.s.o. "a.s.o."

Jun 2, 2023 / Low Lying

ドイツ・ベルリン在住のエレクトロデュオによる初フルレンス。

最近マクドナルドがやっている平成リバイバルキャンペーンが、炎上とまでは言わなくとも、自分の観測範囲ではちょっとした批判を呼んでいる。浜崎あゆみ、安室奈美恵、広末涼子といった平成を象徴するアイコンに池田エライザが成りきり、平成チョベリグ~とセリフを決める…「懐かしい」「かわいい」以上の感想が何も出てこない、あまりにも表層的な平成イメージのなぞり方に違和感を覚える人が多いようだ。そもそも一口に平成と言っても実に30年の幅があるわけで、その間に起こった数多くのブームを平成の名の下に十把一絡げにしている時点で随分と雑なものなのだが、このキャンペーンが特にターゲットにしているであろう90年代後半あたりの時期にしても、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件といったショッキングな事件が社会全体に大きな影を落としていたのだから、決して享楽的なイメージだけでは済まないはずだろうと。まあたかがハンバーガーの CM に一体どこまで求めるのかという話ではあるが、当時10代半ばだった自分にとっては、確かにあの CM は平成の一断片ではあるものの、ああいった陽性のポップカルチャーとは対極に存在する部分にこそ、最も平成ならではと言える雰囲気があったのではという実感はある。

この a.s.o. はシンガー Alia Seror-O'Neill とプロデューサー Lewie Day の2人から成り、どちらも生まれはオーストラリア・メルボルン、現在の活動拠点がベルリンとのことなので、和暦の平成、日本とは一切何の関係もない。それにもかかわらず、自分がこのデビュー作を聴いて強烈に感じたのは、「なんて "平成的な" 音楽なんだ…」ということだった。

音楽性は一言で言えばトリップホップ。しかも90年代マナーへの憧憬がかなり具体的に表れた、端正なブレイクビーツのループを軸としたトラックばかり。Lewie Day はこれまでに Tornado Wallace という名義でいくつか作品を発表しているが、そちらはディープハウスやバレアリックなど、チルアウトの雰囲気を醸し出しながらダンスグルーヴを維持する音楽性だった。対するこちらはグルーヴよりもとにかく浮遊感、陶酔感の醸成に注力しており、たゆたうような Alia の歌声と冷徹なエレクトロサウンドが空間的に混ざり合って、ともすればゴス的とも捉えられるほどにダークで内省的な音響空間を形成している。それはもちろん Portishead や Massive Attack をすぐさま連想させるものだし、そのまま Cocteau Twins などのドリームポップにも繋がっている。

だが個人的に感じたのは、そういったオリジネイター達の影響をより親しみやすい形へと咀嚼した後の J-POP の方が、今作と共通する部分が多いのではないかということだ。具体的には中谷美紀坂本美雨のプロデュース業などでメインストリームの J-POP に最も接近していた頃の坂本龍一である。坂本龍一自身はこの時期について「成果は全くなかった」と述懐していたようだが、(意図的かどうかはともかく)情感の抑えられたフラットな歌声が神秘的な魅力を孕み、繊細な美しさが裏返って冷たいナイフの鋭さも見せる、そんな90年代 J-POP のオルタナティブが今作ではまるで生き写しのような佇まいで現前しているのだ。澄んだ声質で簡単には情感を見せない Alia はそれこそ中谷美紀を彷彿とさせるし、例えば庵野秀明や岩井俊二なんかにも共通する、90年代末頃のサブカルチャーにうっすらと蔓延していた、鋭利でありながらひどく脆い心の影を反映したあの仄暗い空気感が、今作にはそのままタイムカプセルのごとく封じ込まれている、そんな風に思えてならない。バブルが終焉した後も躁状態が続いていた音楽業界の華やかさとは裏腹の、失意と諦観、ぼんやりと付きまとう終末の不穏。自分にとってその空気感は「平成」という時代の最たる象徴のひとつなのだ。また、微妙にアシッドなシンセ音やベタなスクラッチが挿入される場面ではレトロフューチャー感が一層強まり、攻殻機動隊や serial experiments lain など90年代サイバーパンクの世界観を連想したりもする。サントラの CYBERIA MIX とか、細部はもちろん違う点も多々あるけども、全体的な方向性としてはこのアルバムが目指すところとかなり近いんじゃないかと思うが、どうだろうか。

なぜ彼らはこんな音楽を作ろうと思ったのか。いかんせん歌詞が公開されていないし、これといったインタビューも見つからないので真相は不明のままだが、このノスタルジックで甘美な、かつナイーブで切迫した楽曲群を聴いている間は、何だか心の奥底にある錆び付いた扉を無理矢理こじ開けられているような心地になるのだった。無邪気なリバイバルにしてはあまりにも劇薬すぎるだろう。平成はこうしてわけもわからないところから、今でも息を吹き返す。

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