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Azu Tiwaline "Draw Me a Silence"

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チュニジア出身のプロデューサーによる初フルレンス。

情報の整理。Azu Tiwaline こと Donia はチュニジアのベルベル人(北アフリカ地方の先住民族)の母とカンボジア人の父の間に生まれ、幼少期をコートジボワールで過ごしていたが、14歳の頃にフランスに移住している。当時の彼女は「幸せな場所から引き離された気分だった」とのことで、成人してからは「コートジボワールと同じエネルギー、同じ優しさを感じる場所」を探し求め、世界各国を放浪するようになったという。90年代半ば頃にはフランスのレイブカルチャーの影響を受け、Lôan という名義で本格的に音楽活動を開始。テクノ、ヒップホップ、グライム、ダブステップといった種々のクラブミュージックを取り入れながら、20年以上に渡って精力的に音源リリースを重ねてきた(その軌跡は Bandcamp で確認できる)。その後、亡くなった母が残した土地の管理をするため2017年にチュニジアに移住した彼女は、自身のルーツであるベルベル人の民族音楽、そしてサハラ砂漠の広大な風景にインスパイアされ、新たな名義として Azu Tiwaline を立ち上げた。今作は昨年リリースした EP 作 "Draw Me a Silence Part. I" と "Part. II" の収録曲を1枚にまとめ、さらに(デジタル配信のみ)新曲を追加した完全盤である。

ところで、自分はベルベル人の民族音楽というものを全く知らなかった。検索でヒットした限りでは、大小様々なパーカッションを駆使してトライバルな躍動感を生み出し、そこに朗々とした歌声を重ね合わせて時には祈祷のような神聖さも醸し出す、要するにアフロビートの範疇に含められる類のものだと思う。その要素は確かに今作で生かされている。ただ、彼女の経歴を考えるとやはりと言うべきか、彼女が鳴らす民族音楽は伝統を重んじつつも、それをほとんど別の次元へトランスポートしてしまったかのような、何とも奇妙な凄みを感じさせるものだったのだ。

彼女の作る楽曲は8〜9割方が打楽器の音色で構成されている。場面によってはアブストラクトな歌声や管楽器などが入ることもあるのだが、基本的にはパーカッションの土着的な響きを何層にも重ね合わせ、そこへエレクトロニクスによるビートを突き通し、さらに残響音をダブ風に強調して空間を埋め尽くしていくといった手法が主となっている。様々な音程を持つ打楽器のアタック音と残響音が組み合わさることで、ドラムリフとでも言うべき一定の大らかなフレーズが発生し、それがミニマルに反復し続けながら次第にダイナミックなうねりへと成長していく。ただ、その多くは着想元であるはずのアフリカの広大な自然のイメージからは程遠く、ほとんど人肌の体温を感じさせない無機質な雰囲気で、何なら閉塞感すらも漂わせている。

自分がアフロビートに対して抱いている印象と言えば、牧歌的な表情を見せながらもダンスの熱量と野性味に満ち、即興的な要素も強く、複雑で細やかなリズムの波が延々と続き、自由に展開していく中でじわじわとカタルシスに向かっていくといったものだが、今作にはそういった自由さはあまり見られない。と言うのも、アフロビート的な意匠はそこかしこに確認できるものの、一番の中心を担っているのはあくまでもエレクトロニクス、しかもかなりガチガチにスクエアな4分打ちがメインだからだ。キックの配置に多少のバリエーションはあるが、それらの多くは4分打ち由来の直線的なグルーヴ感を基調としており、アフロビートとするにはタイトな印象があまりにも強い。そしてキックはどれも粘り気があって芯が太く、一打一打がズシッと体に深く入ってくるような感触がある。これは初期のデトロイトテクノ的と言っていいのだろうか…とにかく噛み締め甲斐のあるハードな聴き心地で、それが BPM にして100前後の一糸乱れぬテンポでじりじりと迫ってくるものだから、無機質、ハードといった印象にますます拍車が掛かる。

このエレクトロビートは本来なら奔放に広がっていくはずのパーカッションのリズムを強固に束縛し、楽曲を織り成すテクスチャーのひとつに変化させると同時に、パーカッションの音色から宗教的、呪術的な重々しさばかりを抽出し、ともすればインダストリアル風にも捉えられる不穏な緊張感を楽曲に宿す役割も果たしている。対象の自由を奪うことで別の側面からの魅力を炙り出していく手法にはある意味でサディスティックな艶めかしさも感じられる…と書くといささか倒錯した悪趣味に思われるかもしれない。ただ何にせよ、いずれの楽曲でも厳かなエキゾチシズムと慎重かつパワフルなダンスグルーヴが渦を巻き、聴き手を徐々に吸い込んでいく強烈な磁場を発しているのは確かだ。序盤の "Luz Azul" や "Berbeka" などが放つバウンシーな即効性はもちろん、ダブステップ寄りの "Air Element" "Yenna" 、レゲエ/ダブのダークなキナ臭さを最大限に引き出した "Organ Dub Warriors" なども、実に先鋭的な刺激に満ちている。

アルバム最後を飾るのは "Eyes of the Wind" 。今回のフルレンス化に伴って追加された新曲である。そもそも Azu Tiwaline という名前はベルベル人の言語で "Eyes of the Wind" を差すとのことで、この曲が "Draw Me a Silence" シリーズの最終章だと位置づけ、彼女自身が編集に携わっての MV まで作成しているというのもあり、単なるボーナストラックに留まらない今作の重要なピースであるのは明らかだ。曲調はアンビエントの要素が強く表れており、果てしなく続く砂漠の荒涼とした景色をダイレクトに想起させ、開放的な浮遊感の中で聴き手に畏怖の念を抱かせる。曲後半ではリズム音が加わってくるが、それまでの支配的なダンスビートはここにはなく、電子音の統制からようやく解き放たれたパーカッションが、やはり厳粛な雰囲気を保ちながらも、しなやかに、踊り子に親密に寄り添うようにして打ち鳴らされる。他の楽曲にはなかった自由さがここだけにはある。この楽曲は今作の出口であると同時に別の世界への入口でもあり、きっと次作への道筋を暗示している。

アフリカの歴史と自然にまだまだ終わりがないように、そしてこれまでの彼女自身の活動がそうであったように、この先も多かれ少なかれ形を変えながら、彼女の音楽は今後も続いていくのだろう。今作はその旅の途中の景色を独自の目線で切り取ったある種のドキュメンタリーであり、彼女の過去と現在、未来を繋いだ雄大な時間軸を反映した、様々な意味で重厚な傑作だと思う。


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