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ハチスノイト "Aura"

Jun 24, 2022 / Erased Tapes

北海道・知床出身のボーカリストによる、フルレンスとしては約7年半ぶり2作目。

彼女は現在ロンドンに住んでいるとのこと。自分は彼女の姿を一度だけ見たことがある。大阪で。今から10年以上前、彼女がまだ夢中夢というロックバンドに在籍していた頃。夢中夢はわずか2枚のフルレンスをリリースしたのみで空中分解してしまったが、ポストロック、ブラックメタル、現代音楽といったジャンルを融合したサウンドはひどくアクの強いもので、自分含めた一部のアンダーグラウンド好事家に大きなインパクトを残し、今でもたまに語り草になったりする。ハチスノイトは夢中夢のボーカルとして、シアトリカルなオペラ風歌唱からウィスパーボイスまでを駆使するスタイルで、ともすればバンドサウンド以上に強烈な存在感を放っており、その不思議な響きの名前はバンドとともにはっきりと記憶に焼き付けられた。

夢中夢以後はソロ活動に移行し、ロック領域から脱してさらに実験的なポストクラシカル方面の路線へと舵を切り、マイペースに作品リリースを重ねていた。今回の新譜で久しぶりに彼女の名前を見たのだが、実際に曲を聴いて心底驚かされた。ここでの彼女は夢中夢時代はもちろんのこと、これまでのソロ作品と比較しても、更なる別の次元へとステップアップしており、他に似た例が思いつかないほどの強烈なオリジナリティを確立するに至っていたのだ。

今作 "Aura" は一部を除き、ほぼ全編が彼女のボーカル、声のみで構成されている。声のみのアルバムと言えば真っ先に思い当たるのは Björk "Medulla" だが、中心部に真っ当なメロディと歌が鎮座していた "Medulla" と、この作品は決定的に違う。またハチスノイトの2014年作 "Universal Quiet" も自身の声のみで作られた作品だったが、そちらはオペラボイスを何層にも重ね合わせて疑似クワイア空間を広げ、そこに不明瞭な囁き声などが挿入されるといった、言わばストレートに荘厳な雰囲気を打ち出した作風だった。"Aura" でもそういった空気感は共通してはいるが、こちらはもっと複雑でユニークな試みが全編に取り入れられている。

例えば上に貼り付けたリードトラック "Angelus Novus" 。これは2018年発表の EP 作 "Illogical Dance" に収録されていたものの再録だが、元は10分を超える大作だったのが、ここでは6分にまで短縮されている。そのぶん声のダビングやエレクトロニックな編集をなるべく削ぎ落とし、深遠な音響空間の中でハチスノイト本人のボーカルパフォーマンスを、この上なく生々しい臨場感の中で味わえる作りになっている。メッセージはない。ハーモニーらしいハーモニーもない。肺と声帯をフル活用して思うがままの旋律を展開する、歌と言うよりもほとんどシャーマンによる祈祷の儀式のような、緊張の糸が張り詰めた「声」のみの世界だ。

"Angelus Novus" はまだ印象としてわかりやすい方だろう。冒頭に据えられたアルバム表題曲 "Aura" では、いわゆる荘厳というよりもブルガリアの合唱団を想起させるエキゾチックな響きであったり、シュールあるいはコミカル一歩手前のオノマトペ、あるいは自然界の動物の鳴き声を模したような発声など、聖的/魔的のイメージのみに留まらない多様な響きを織り交ぜ、何かしらの一定の場所に収まることをとことん拒絶しながら、不明瞭な道を手探りで探索するかのように曲が紡がれていく。個々の声はソリッドな存在感を持っていながら、総体は掴みどころがなく、多角的に違和感ばかりを植え付けられる。それは他の楽曲でも同様で、叙情/叙景などの意味性を剥ぎ取った声の響きのみで構築される音世界に包まれていると、今までに訪れたことのない異空間へ放り出されたような、得も言われぬ心地にさせられるのだ。

唯一異色なのは "Inori" である。この曲のみフィールドレコーディングによる波の音などの環境音がフィーチャーされている。情報によれば、この音は福島の原子力発電所から1キロほどの海岸で採取されたものだという。ここでのハチスノイトの歌声は、アンビエント/ニューエイジに通じる浮遊感を持ち、穏やかで優しく、他の楽曲にはない慈愛を感じさせる。11年前に去ってしまった人達と、今を生きる人達への思いが込められているのだろうと推察されるが、具体的なメッセージなどはやはりない。慰めや悲哀など、単一の形容で括られるような表現はここにはない。言葉ではなく、声のみで内なる心情を繊細に、雄弁に示している。曲調的には他と差異があるが、「言葉では言い表せないものを形にする」というアティテュードの点では共通しており、実に彼女らしいと言える手法だろう。

歌詞によらず、メロディセンスによらず、もちろんアレンジやその他諸々の周辺情報にもよらず、発声のみでその人独特のムードを発し、聴き手の心を掴んで離さない、そういった稀有な技量を持つボーカリスト。自分の中では先に挙げた Björk であったり、Kate Bush 、もっと遡れば前衛ジャズボーカリストの元祖 Patty Waters や Brigitte Fontaine 、あとジャンルはずれるがグロウルやホイッスルボイスを独自の手法で使い分ける京 (DIR EN GREY) なんかも該当する。「声」はたとえ言葉がなくとも叫び声、泣き声、笑い声などで感情を他者に伝えられる最もプリミティブな表現手法のひとつである。ハチスノイトは今作において、生身の声帯が持つポテンシャルを徹底的に深堀りしながら、どの感情、どの色味、どの土地柄でも括れない、すべての中間にあるグレーゾーンを突き進んでいる。言葉では伝えられない感情を伝えるために。こと(広義の)ポップミュージックにおいては、音楽の進化がテクノロジーの進化とほぼ同義で扱われがちな中、彼女が放つ身体性のダイナミックな魅力はそれとはベクトルが真逆であり、すでにもう開拓されきったように思われた音楽の未知なる領域、新たな可能性を提示していると言えるかもしれない。


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