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Bat for Lashes "The Dream of Delphi"

May 31, 2024 / AWAL

イギリス・ロンドン出身のシンガーソングライターによる、約5年ぶりフルレンス6作目。

アルバム表題にある "Delphi" とは Bat for Lashes こと Natasha Khan の娘の名前。2020年に初の出産を経験した彼女は、自分の子供という小さくも大きな存在から多大なインスピレーションを受け、今作の制作に繋がったのだという。"Letter to My Daughter" "Her First Morning" などそのままズバリな曲名が並んでいたり、"Christmas Day" では「あなたは贈り物、私からやってきた贈り物、でも私のものではない」と綴っていたり、中盤では Delphi のお気に入りだという Baauer "Home" のカバーまで制作したりと、とにかくパーソナルな、我が子への直接的なメッセージが全編に含められている。

これまでの Bat for Lashes と言えば、きっと今までに散々比較されてきたであろう Kate Bush を彷彿とさせる、エキセントリックで神秘的なイメージが真っ先に頭に浮かぶ。時にはアコースティックでシンプルに、時には80年代風味のシンセポップ要素を取り入れ、作品によって方向性の微調整を図ってきたが、浮世離れしたスピリチュアルなムードは一貫しており、それでいて主幹を成すボーカルの豊かな表現力が衒いなく聴き手の胸を打つ、シャーマニックなカリスマ性を常にまとっていた。このたびの新譜でもそれは揺らがない。楽曲の形式はかなりフリーフォームで、リフレインは極力省いている一方で、長い尺のイントロが置かれることもあれば、大胆にも歌を入れずにインストゥルメンタルで仕上げてしまっている曲もある。だがいずれにしても、曲がこのアレンジを呼んだと思える自然さがどの曲にもあり、実験的でありながらポップな感触も忘れず、スムーズに耳に馴染む。そして構築される世界観はやはり、思わず固唾を飲むくらいに聖性を湛えたものだ。

しかしながら、今作における彼女の歌は、今までとはどこか違った柔らかさや包容力を感じる。それはやはり、今作のテーマが出産、子供であるからだと思う。

私事ではあるが、自分も2020年に第一子が生まれた。コロナのパンデミック真っ只中に、出産立ち合いどころか面会すらままならない隔離体制で、妻からの LINE のみが状況を知れる唯一の手段となり、よく晴れた初夏の朝に子供は生まれた。出産の第一報を受けた直後も実感はあまり湧かず、自分に子育ての準備ができているのかどうかすらおぼろげなまま、無事に我が子を自宅に招き入れた。自分の人生とは遠くかけ離れたものであったように思っていた「子供の誕生」という出来事が、まぎれもなく眼前にリアルとして存在していた。未来への期待と、同等の不安、両者が日を追うごとにジワジワと自分の内面に定着していった。新たな生命は間違いなく神秘であるが、同時に至って卑近なものでもあり、特別に神格化しなくともすでに切実な存在である、そういった自分の思いはきっと Natasha も近しいものを抱いているだろう。彼女は自分とは全く別の世界線を生きる芸術家であり、遠い存在だという認識でいたが、ここでの彼女はひどく親密な印象がある。過剰になりすぎないドラマ性と、大味になりすぎないポップ性を両立する持ち前のセンスを発揮しながら、人生のステージが移り変わってひとりの親となる現在の彼女の心境を反映した今作は、自分のすぐ隣にいつでも置いておきたい、そんな愛しさで満ちている。

歌のテーマとしてははっきり言ってありふれたものだろう。だが彼女の歌は心にある光と影の双方を的確に切り取り、ボーカルの力量を存分に発揮しながら、意欲的なアートポップとしての完成度を落としていない。相変わらず歌の美しさを誇りつつも、彼女は自分の方へと歩み寄ってくれた。あなたは贈り物。でも私のものではない。手探りで生きて行く子供と、手探りで支えていく親。不安は尽きないだろうけど、愛情を忘れないでいよう。この先の人生で、今作をたまに聴き返すことが、自分の心の支えとなってくれるような気が、何となくする。

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