Idris Ackamoor & The Pyramids "Shaman!"

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アメリカ・シカゴ出身のサックス奏者 Idris Ackamoor を中心とするジャズバンドの、2年2ヶ月ぶりフルレンス7作目。

今年に入ってからジャズの新譜を色々と漁り続けている。前からジャズに対する漠然とした憧れはあり、麻疹のように Miles Davis や John Coltrane などの有名どころを聴いてみようかなとなることはあったが、所詮は一過性の麻疹なのであまり自分の身になるような結果にもならず、ジャズとの距離がなかなか縮まらないままでいた。しかし今年はできるだけおろそかにならないように意識している。そういうモードが幸いにも続いている。そもそも自分はジャズに限らず、馴染みのない音楽を聴く時は半分くらいは勉強のつもりと言うか、よくわからないなりにうんうん唸りながら繰り返し聴き続けることが多かった。元来の自分の好みには即座にハマらないけれど、かと言ってそれですぐ切り捨ててしまうのももったいない気がしたし、他の人があれだけ絶賛しているんだから自分にも理解できる日がそのうち来るはず、などと考えていた。なので最近は初心に帰る気持ちもあり、ジャズを聴くのが自分の中で新鮮味があって楽しい。

それで彼らである。Idris Ackamoor のデビューは70年代初頭で、その頃に彼が率いていたバンドが The Pyramids 。The Pyramids は77年には解散してしまうが、後年になってからコアなジャズファンの間で再評価が進み、テン年代に入ると一部のオリジナルメンバーを擁した編成で本格的に再結成。精力的なペースでアルバム制作やツアーを行い、現在に至るとのこと。自分は全く知らなかった。大ベテランじゃないか。それだけでも聴く前から少し恐縮するのに、何せバンド名がピラミッド、アルバム表題がシャーマンときたもんだ。スピリチュアルまっしぐら。カバーアートも辺境のプログレッシブメタルバンドみたいで最高に胡散臭い(秋田出身のアーティスト青山ときおによる作品とのこと)。ついでに言うとバンマス Idris は全身金ピカのスーツにファラオの冠を合わせた神々しさ全開の出で立ちでステージに立ったりしている。なかなか厳ついブツに手を出してしまったのではないかという予感がしていた。

予想は裏切られた。コンセプトはスピリチュアルではあるものの、実際の楽曲は重厚さよりも軽やかさ、鮮やかさ、何ならエンターテインメント性すらも強く感じさせる、ジャズファン内外に向けて広く門戸が開け放たれたものだった。12分を超えるアルバム表題曲 "Shaman!" がのっけから今作のハイライトを飾っている。ピースフルな雰囲気を湛えながらの祈祷が冒頭から2分ほど続き、それが終わるや否やラテン/アフロファンクの強烈なグルーヴが堰を切って繰り出される。軽快なギタープレイ、咽び泣くサックス、涼やかな風を差し込むフルート、優美に舞うバイオリン、そしてもちろん熱量全開のリズム隊。それぞれのパートに見せ場を作り、大所帯ならではの賑やかさを存分に活かしつつ、曲全体のスマートな流れも決して損なわない。もうこの1曲だけで完全にノックアウトされた。長尺を全く長いと思わせない洗練された手付きが素晴らしい。生きていく上で決して避けることのできない怒りや悲しみ、心の闇をどう乗り越えるべきか。彼らは多くを語らず、流麗でいてエネルギッシュなこの演奏だけで答えを提示しているように見える。

4曲目 "When Will I See You Again?" も深く印象に残った。この曲にだけ明確な歌詞がある。内容は曲名そのままだ。次はいつ会えるだろうか。世界各国の都市名が羅列され、遠く離れたそれぞれの地で暮らしている人達へ、嵐が起こり、闘争が起こり、悲嘆に暮れることがあってもどうか生き延びて、いつかまた会いましょうと。これはもちろん2020年のコロナ禍においてはなおさら真摯さを増して響く。宗教的なモチーフが散りばめられてはいても、決して浮世離れはしておらず、むしろ現実をシビアに直視した内容だ。しかし彼らは眉間にしわを寄せて深刻な面持ちをしているばかりではない。込められたメッセージは重たいが、演奏には良い意味でシリアスさがなく、むしろレイドバックしていて軽やかで、揚々と羽を伸ばすような自由さばかりがある。このヘヴィな現況をどう乗り切るかを、彼らは演奏に没頭し、軽快にステップを踏みながら、むしろ楽しんでいるようにさえ見える。この幸福なバイブスは確実に聴き手にも効力を発揮するだろう。直接的にカンフル剤を打つのではなく、赤茶けた地面に雨が降るような自然さで、彼らは聴き手の落ち込んだ目線をそっと上に向けてくれる。そういった優しさが、この作品からはひしひしと感じられる。


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