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ボキャブラリーを増やす#2

ショートショートSF 「翳す」


彼が手を差し出すと、透明な壁越しの男も手を差し出した。徐々に近づく二つの手のひらは、壁を挟んで翳したところで止まった。
「いつもこうだ。」二人の声が被る。
「まただ。」また被った。二人は呆れ顔をし、それぞれの寝床に戻った。この部屋には灯りが無い。光が入ってくるのは、透明な壁の反対側の壁にある、一つの窓からだけ。そのせいで室内にも関わらず昼明るくなり、夜暗くなる。見飽きたお互いの顔が見えなくなる夜は、落ち着く時間だ。こんな意味も分からない白い箱に、二人だけで閉じ込められている。最初のうちは数えられていた日数も、とうとう面倒臭くなった。彼にとって一つの救いは、もう一人の男が自分よりも醜い顔をしていること。じっと眺めては心のうちで見下す。唯一残された彼の娯楽だった。


 ところがある日、彼にとって許せない出来事が起きる。
「本当に醜い顔だな。」男は嘲笑うように言った。無論、彼は激昂する。男を見下すのが生きがいだったこの数年によって、この侮辱を耐える余裕は既に失っていた。拳を握りしめる。長い間使われることのなかったその拳は、激しい痛みを伴って透明な壁を割った。彼は鮮血に染まった掌をまじまじと観察し、自らの生を実感すると涙を溢した。
 散らばった壁の破片の一つ一つに、涙を流す醜い顔が、忌々しきあの男の姿があった。

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