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教室後列2番目の憂鬱

学生ならば教室後列の席に座りたいと席替えのたびに考えるだろう。

教師がいくら前方の席よりも後列の席の方がよく見ていると主張しようが、私達は後列のほうが魅力的と考える。なんとなく前よりも教師に見られていない感じがするし、自分より後ろに生徒が少ないからありもしない視線を感じることもない。学校支給のパソコン(通称鉄板)を後ろの視線を構うことなく使える。

以上のことから総合的に考えて後ろに行けばいく程心理的に満たされるわけである。

しかし、後列2番目は別である。

大前提として私達は日本人である。礼儀を重んじるジャパニーズ。人に迷惑をかけることを一番に嫌っているのだ。しかしそんなジャパニーズは心の奥底で気を使うことなんかしたくないと考えているのだ。そうでなければポイ捨ても信号無視も日本には存在しない。利己的に物事を考え、導き出した結論が『気遣い』だっただけだ。世間体を気にして、気を使わなければいけない状況であるのが日本なのである。

そう考えると教室後列2番目がその代表例であるといえる。学校であればプリントが前から順に送られてくるであろう。教師が列にいる生徒の人数分プリントの枚数を調整し、最前列の生徒に手渡す。最前列の生徒はそれを2列目の生徒に渡す、3列目、4列目とそれを繰り返す。普段はそれでいい。しかし教師も人間である。プリントの枚数と調節を失敗してしまうことだってある。そうなると余分なプリントを教師に返すのは前から何番目の生徒になるだろうか。最前列か?いや違う。最後尾か?それでもない。じゃあ誰であろうか。そう、後列二番目である。

最前列はプリントが必要枚数より多い事実に全く気づかない。これは仕方ないことである。列が7列ほどある教室であればだいたい前列から3〜4番目くらいまでは気づかないだろう。しかし後列3番目になると確実に余分にプリントがあることに気づくはずだ。しかし後列3番目はその事実を見なかったことにし、次の列へとプリントを回す。そして来る後列二番目。ここの生徒は確実にプリントが余分にあることに気づく。当たり前だ。なんせ後列3番目でも気づいているはずだからだ。ここで何食わぬ顔で後ろにプリントを回す事ができる人間には血は通っていないのだろう。なぜなら、ここでプリントを回してしまうと日本人のくせに後ろの人間に気を使うことはおろか、悪びれもなく回したことになるからだ。つまりプリントを教師に持っていかなくてはならないのは後列二番目なのである。

もし本当に日本人が礼儀を重んじる人種であれば、後列3番目が持っていってもいいはずなのだ。しかしそんなことは面倒なのである。よって、後ろに回す。こんな事あってはならない。なにが『礼儀を重んじる人種』だ。ただの『人の目を気にしすぎる人種』ではないか。

人種がどうたら言っているが、そんなことはどうでもいいのである。後列3番目の人間がプリントを教師に持っていけばいいのである。これを読んだ後列3番目の人間よ、他人に任せてばかりではなく気づいたらお前がプリントを教師に渡せ。

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