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12週になり安心しかけたのも束の間、全然安心できない事態にー切迫流産の危機

どうも、しがないです。

今回は、妊娠発覚後からのことについて綴ります。
※下記、軽く生々しい表現がございます。

◼︎つわりこんにちは

人工授精受精で晴れて妊娠したものの、
7月と時期が時期だっただけに
暑さと気持ち悪さにやられていた。

そして、睡眠リズムがなぜか狂いだし、
朝4時半に起きては腹が減ってしかたない。

しょうがないから魚を焼いて食べて、
暑いから冷房の下で涼んで寝なおしていた。

そんな生活が始まると、
通勤中の日照りがつらい。

そして、会社に着くと20分はほてってしょうがない。うちわで毎日仰いでいた。

ただ幸い、吐きそうとか言うのはなかった。

お昼、みんなで食べているのだがその際に、
色が細ったのを見て、会社の方は勘づき始めた。

そして、じわじわと会社の人に報告する運びとなった。

かけてから、治療のことも伝えて休みももらっており、また祖父の騒動で心配をかけていたため皆感慨深く受け止めていたようだった。

ーにしても、マタニティマークをつけての通勤はとても気疲れするものとなり、いちばんのストレスになっていた。

そして、野菜を食べた時に違和感に気付いた。
まずい笑
そしてあれだけ食べていた魚の匂い、米の匂い
気色悪くなっていまった。
お昼時の調理の匂いなんかも、地獄であった。

どうやらつわりの種類は、
匂いつわりと食べづわり、そして眠りづわりだった模様。

◼︎その時がきた

そんなストレスフルな日々を過ごし、やっと8週、やっと9週の壁超えた、、そして12週1日!になった時だった。

朝から旦那と軽く険悪になっていた。
そしてトイレに行くと、気のせいか少し血がついてる気がした。ー

そして職場付近の駅で念の為ナプキンを買って、
職場付近のトイレに着いた時だった。

あれ、もう生理1日目くらいにでてね?

と。速攻で会社を後にして、病院に行った。
ー祖父の時もそうだったが、こう言う時自分はテンパるとか悲しむとかを通り越して、嫌に冷静になる。

病院につき診察台に乗った時、
血がバシャッ
と一瞬の滝のように溢れてきた。
先生も少し焦ってたようにもとれ、
そして正直に、

これは流産もあるかもしれません

と言った。加えて、手は尽くします、と。

(ドラマとかでよく聞くやつやん

そして今から入院してもらいます、って。
旦那にも面会できないとの事。
荷物だけ持ってきてもらうとの事。

うーん、これは旦那の方がやばいのでは、
と直感的に思った。

旦那は到着すると先生に説明を求めたらしく、少しの間話していたよう。

私は先客のいる2人部屋の窓側で管に繋がれ、
漫画でよく見るような名前を挨拶し合うくだりもなく、速攻昼食になる。
驚いたのは、その豪華さだった。
どうやって食べ切るのだ、と、、。

人生初めての入院。
マットレスが固くて痛い。
ーでも、別の面では安心している自分もいた。
これで通勤から解放されるんだ、と。
会社も無理して行かなくていいんだ、と。

さて、血はあれ以来ほぼ出なかった。

そして夜、看護婦さんがきて普通の様子で言った。

もし出てきてしまったらとっておいてくださいね、

と。

あ、わかりました〜と答えておいた、。

ーそんなこんなで周りにも報告を済ませた。
自分よりも周りが動揺している気がしてならなかった。

案の定、2、3日後に豆腐のようなメンタルの
旦那(50歳)が寝れず食えずになっていたことを知った。そして、涙が出てくる、、とも言った。

私はと言うと、YouTubeで外国人の方がすき焼きや寿司や焼肉を食べる動画を堪能していたのだった。ー

そして、ある事を考えた。

仕事は続けるべきなのか、、、

自分では答えが出ずに母に聞いた。
そしたら、これまで進路から何から一切の口出しをしてこなかった放任の母が、
流石に今は仕事どころではないのでは、
と言ってきたのだった。

滅多に物申さない母のその言葉に、
私はそうだよなと納得した。

ーそして、点滴が取れずにシャワーにも入れず、3日になった。

豪華な食事であったが、納豆とシャケが恋しくなっていて、そして量の割に動きもしないからついに便秘に苦しむようになった。やっとの思いで夜中に出したりした。

ーそうこうしていると、点滴が外れて、トイレが身軽になった。

一方、隣の方は切迫早産のようだった。
機械をつけて定期的に動きを見てるようだったし、それによって注射を打ってるようだった。
つまるところ、12週を越えようとぜんぜんその先にもリスクってたくさんあるんだな、、と身に染みて思ったのだった。ー

さて、ついにその時がきた。

4日目にて晴れて退院となった。

無事、大量出血に持ち堪えたのであった。

外に出ると、まだまだ暑かった。
旦那に車で話を聞くと、
先生にやはり手を尽くしますが
と言われたのがこたえていたようだった。

また、拡大解釈じゃないかと思ったのだが、
もうダメですねと言ったような趣旨のことを言われたとの事で、それもだいぶきているようだった。

◼︎安静の日々

帰宅後は1週間トイレ食べるシャワー以外安静を命じられた。

ロングにしていた髪が鬱陶しすぎた。
訪問美容を予約したが、
先の予約になってしまったため、
家で旦那に手伝ってもらって、
バッサリとやった。

ーそして、それからというもの、ベタだが
食事の問題が発生した。レトルトをAmazonで買って食べていたが、どうもお腹の調子が良くない。

ライブネットスーパーの惣菜へほどなく切り替えた。

そして、切迫にいいらしいR1ドリンクも飲み始めた。

ー訪問美容がくると、だいぶ整えてもらった。
旦那のために伸ばしていた髪、
帰宅した旦那は流石にがっかりしてブツブツ言っていたが一蹴した。

◼︎退職希望報告をするも

会社の人に、退職の件について報告する。
しかし、思いがけない引き留めがあり、
休職がどうかとの事でそのようにしてもらう。

◼︎その後ひと月の休職期間

初めの2週間くらいは、たらっとすぎた。
ここで、スマホのフルーツを消していくアプリにハマったのだった。

が、徐々に元気になってきてしまい、
暇を持て余すようになってきたのだ。

検診でも、奴は元気であったし
状態も回復していた。

念の為、リモートでの復職を伝えていた。

だが、会社側は復職には慎重な様子だった。
また、私的に行きたくないのでは、、無理してるのではと思ったらしく、再度大丈夫か確認をされた。しかし、純粋に技術的に置いて行かれる不安があったので、その旨を伝え結局リモートで復帰をした。ー


◼︎切迫をへて

まず、会社や一部の親戚や友人に報告してしまっていた手前、まじかよ、、と思ったのがひとつあった。また悲しいニュースを身内にながすのか、、と。友達にも気まずいな、と。

なので、報告の時期は改めて検討が必要かも知れない、と思ったし、いつになれば安心、なんて事も無いんだなと改めて思った。

そして会社では、出産間近までまで働いたとか、産休を手短に切り上げたとか色々聞いてはいたが、妊娠出産子育てはケースバイケースであって、〇〇さんがこうしたからあなたもこう、私もこうってのはなしだと思ったし、過信できないと思った。

現在折り返しであるが、眠くなったら寝る、
お腹空いたら過剰にならない程度に食べる、
そして少しでも体と心からノーを感じたら
従うようにしないとな、という結論に至っている。

長くなりましたが、お読み頂きありがとうございました。

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