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計画無痛分娩レポート

どうも、しがないです。

来る3月某日、25日に様子を見て子宮の準備ができていたら入院しちゃいましょう!
と言われた。

無痛分娩を希望していたので、つまりは計画無痛分娩というやつだろうか。

予定日は28日で、その日であれば私とさらに亡き私の父と同じ誕生日であったんだけれども、(ちなみに祖母は27日)
予定日が近づくにつれて、違う日だったらケーキが2回食えるんじゃないか?という想いがよぎっていたところではあった。

そして25日8時半に伺うと、検査も何もなくもう入院で、とのことで入った。

おしるしすら来てなかったので、
先生の手技&促進剤、そして人工的な破水を行なって、あれよあれよと腰に管を入れられてベッドに横になっていた。思ったほど全然痛くなかった。

すると、午後二時頃からだろうか、
生理痛の強いやつのようなものが、
ひっきりなしにおしよせてくるようになった。

そして、実は数ヶ月前から1番嫌だった尿を取ってもらう作業。チューブを入れて取ってもらったが、あれ、全然痛くない笑
この個人的な山場を越えて、だいぶ安堵していた。

そして、3時間くらい苦しんで、子宮口ほぼ開いてから分娩台に移動した。

通ってる病院の分娩室は小洒落ていて、
ついてるモニターではアラジンの歌が流れていた笑

そして、無痛の割に痛み強いな、と沸々と思っていたところ、看護師さんが機転をきかして先生に麻酔のききが弱いのでは?とおっしゃってた。
そして、腰に刺さったチューブをずらす事になり、薬も追加。すると嘘のようにお腹側の痛みが引いた。笑

その後、旦那も呼ばれて、助産師さんの促しでいきむのが始まった。

しかし、産道が狭いとかで頭が挟まってしまい、赤ちゃんの酸素が薄くなってきたとかで酸素マスクをつける。

結局、先生、がっつり会陰切りますとの事。
ここで、会陰マッサージとは?との言葉がよぎる。
マッサージをいくらしていたところで、
そもそもの産道、恥骨の関係で通れないことがあるのだなと初めて知る。
(のちのち、自分の産道では2300グラムくらいでないと通れないというのが判明する。)

そしてジョキジョキやったあとに、吸引をされたのだが、3人がかりでやってもらう。

1人は先生、2人は助産師さんで、
助産師さんの1人が心臓マッサージみたいなものを胃の上でやり始めたのだった笑

なかなかのパワーだったため、
酸素マスクとそれを見た旦那はもう
引いてしまったようだ。

が、それを2ターンくらいしたら
無事に出てきたのであった。

エコーではカッパみたいな顔をしていたが、
出てきたての顔はぶくぶくしてかわいいなまず見たいな顔をしていた。

旦那はひとしきり泣いた後ずっと抱っこしていた。ー

さて、その後私は右足の麻酔が抜けずに、結局5、6時間分娩台に座ったような姿勢のまま待機になった。横姿勢になってしまったら起きられなずにこっちの世界に戻って来れないかも、、と思ったからだ。

結果、麻酔抜け切らぬまま移動となり、
崩れ落ちそうなところを助産師さんに
支えられながらベットにダイブした。

結局この日は3時半すぎまで寝られなかった。
寝返りさえ厳しく、そして腰の重さと鈍痛に、
やっぱり分娩台で横になったほうがよかったかな、、とじわじわと後悔していた。

翌日、シャワーの許可が降りて浴びる。
思ったほど染みなかった。
移動は、腰を降りながらソロソロと動ける程度であった。あれだけ動かなかった右足も、徐々に回復しているのがわかった。

そして、部屋の円座に腰掛けて食事を取ることができた。

(母子同室に続く)

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