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私にとっての「ちょうどいい」ってどんな感じなんだろう

「ちょうどいい」とは何だろう。
というようなことを最近よく考える。

辞書には
「程度が過不足なくぴったりしているさま。分量や大きさ、時間などさまざまなな物事について言う。 」
とある。
うん、大体そんなような感じで使っている言葉だ、と納得する。

言葉としては間違った使い方をしていないと思うのだけれど
「私にとってのちょうどいい」ってなんだろう?と思うと途端に「?」となる。

きっかけは棚だった。

私はここ数年、化粧を楽しむようになった。
(きっかけは諸々あったけれどそれはここでは割愛するけれど)
化粧を楽しむようになったことで
それまでと比較して圧倒的に化粧品が増えた。
それで、収納を増やさなければならなくなった。

私は割と定期的に模様替えをするので
あの棚をこっちに持って行って、
その引き出しをここに収納して・・・というのは慣れている。

その時も使わなくなったカラーボックスを上に組み立てて
無印良品で買ってきた引き出しを入れて・・・と
即席でなんとなく収納を作った。

つぎはぎだらけの収納なのに
これがなかなかに使い勝手が良く、1年以上使っていた。
けれど、ある日夫の人に言われた。

「これ、ただカラーボックスを積み上げてるだけだし
 ちょっと板もたわんできて不安定じゃない?
 ちゃんとした棚、買えば?」
と。

確かに滑り止めのクッション等使ってはいるもののいささか不安はある。
加えて言うならばその棚を使って1年以上経過するうちに
「ここにこれを収納で着たら楽なのに・・・」
と思うことも増えてきた。
よし、今より大きめのしっかりした棚を買おう!

ということで棚を探すことにした。

サイズはこれくらいで、
色は床の色から浮かない感じで、
今使っている引き出しが活用できればもっといいな・・・。
なんて探していたのだけれどこれが一向に見つからない。

理由は簡単だった。
私が欲しいと思う高さの棚はあまり存在しなかったのだ。

検索しても10cm低いものや10cm高いもの沢山は出てくるのに
私が欲しい高さのものは中々出てこない。
あぁ、惜しい!と思いながら探す日々。

私がDIYとかできるタイプの人間であれば
自分の欲しいサイズの棚を作れるのかもしれないけれど
私は自他ともに認める不器用である。
作るところを想像しただけでちょっと眩暈がする。

一応DIY教室を検索してみたりもするものの
自分の作った棚の強度なんて不安しかない・・・と思っているので
できれば既製品を買いたい。
なのに既製品に私のちょうどいいは売ってない・・・。

その時ふと思ったのだ。
こんなに探しているのに出てこないということは
私のちょうどいいは一般的には「ちょうどよくない」のでは・・・?
と。

私は常々
「こんなのがあったらいいな☆」
と思うものは大抵他の誰かがもう開発して作ってくれていると思っている。
私なんぞから新しいものなんて出てこない。
だって凡庸な人間だもの、と。

なのにたかだか棚ひとつ求める高さのものが見つからない。

あと10cm低いものが私のちょうどいいであったならば
色や素材や値段を見比べて選ぶことができるのに
私にはそんな余地はない。

私のちょうどいいってもしかして世の中に存在しないの?!

そう思って見回してみれば棚に限ったことでもなく
割とちょうどよくないものを使っていることに気付いた。

物や、状況や、色んなことは私に合わせたものではなく
物や状況の方に私が合わせているのだ。

あら?それって生きにくいのでは??
大げさだろうか。

若いころはそれでもやっていけた。
自分を物に合わせるだけの体力や気力があったというだけでなく
若いゆえに自分で決められることが少なくて
こちらが合わせなければいけないシーンばかりだったし、
そもそも自分のちょうどいいとは何かみたいなものが全く分かっていなかった。
分からないのだからちょうどいいものを得られるわけがなかったのだ。

加えて言うならば私の若いころはまだ
「もっと、もっと」を求められる時代だったというのもあるだろう。
「ここらへんで」「ほどほどに」と満たされることは
すなわち停滞することで負けること!みたいな風潮がまだ残っていた。

だがしかしそこそこに年も重ね、時代も変わり、
「ちょうどいいがいいんだよねぇ」と思えるようになった。
しかも「不快」に対する耐性も減ってきた(加齢のせいにしたい)

私は今自分のちょうどいいを探してみたい。

「ちょうどいい」はまだちっともはっきりしないけれど
「こっちがいいですかね?」
「それともこっちですかね?」
とちょっとずつ試しながら私と仲良くなっていきたいのだ。

ひとまず棚は希望のものより10cm低いものを買った。
そして洗濯機の底上げをするためのアイテムで10cm底上げして事なきを得た。
インテリアにこだわりの強い人であれば
「見目麗しくない!」
と憤慨するかもしれないが、
足元が多少不細工であろうとも私の目線からはほとんど見えることはないし
私にとっては「高さが希望通りである」ということが大事だったので
それで問題はない。

世界に私の「ちょうどいい」がなくっても
あっちにあるアレとそっちにあるソレを組み合わせたら
限りなくちょうどいいに近いものが出来上がる。
そういう経験ができたのだから万々歳なのだ。

私にはそれくらいの緩さが「ちょうどいい」と今は思うのだ。

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