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バニラアイスとワインシャーベット

小学1年生だったと思う。
多分、誕生日を迎える前の季節だったから6歳だったのだろう。
1階が喫茶店、地下がレストランになっているお店に行った。
その構造を覚えているのは予約時間まで大人たちが喫茶店で時間を潰して
時間の少し前に喫茶店のレジ横にある階段から地下に降りて食事をしに行ったから。

それが何の集まりだったのか、私はいまだに分からない。
私はよく父親に連れられて色んな所に行ったし
あの集まりにはこのおじちゃんがいて
あの集まりにはあの夫婦が子どもを連れてきていて・・・と
いつものメンバーがいたはずだけれど
あの時あの場所にいた大人たちはあの時しか会わなかった気がするから。

大人のおじさんたちはみんな煙草を吸っていて喫茶店の中は白い煙がぐにゃりと漂っていた。

レストランに降りた後、おじさんの中の1人が私に言った。
「おつかいに行ったことはないの?」と。

おつかいというものに行ったことはなかった。

当時の私が暮らしていた場所は地方の住宅地の端だった。
1番近いスーパーまでは2㎞以上は距離があったし
コンビニもバスで4つ分先だった。
家から数百メートルのところに小さな商店はあったけれど
ひとりでおつかいに行く機会はなかった。
私の母親はあまり買い忘れをしない人だったのかも知れない。

ひとりでおつかいに行ったことがないと知ったおじさんは
「じゃぁ、上の喫茶店でおじさんの煙草を買ってきてくれる?」
と言った。

正直に言うとこの時私は「なんでだよ」と思った。
私の父親は煙草を吸わない。
当時としては少数派の嫌煙家であったと思う。
身体に悪いし、臭いし、お金かかるし。
というのを当時から聞いていた。

そんな百害あって一利なしなものを
しかも初めて会ったおじさんのためだけのものを
私に馴染みのない覚えにくいものを
なんで私が(そんな奴の命令で)買いに行かなければならないのか。

でも私はその注文を受けた。
何故なら周りにいた大人たちが笑っているように見えたから。
おつかいに行ったことがないって言っているこの子にそんなことができるの?
やだぁ、そんな無理難題可哀そうよぅ。
と笑われているように見えたのだ。

これを受けなければ父親が笑われるとも思った。
貴方の子はおつかいにすら行ったことがないの?
という言外の笑いは、私がそれを断ることによって
こんなことも出来ない子どもなんてね(笑)
という嘲りを確約させるような気がした。

手渡されたお金を持って階段を登る。
レジの前にある煙草の中からおじさんが指定した銘柄(セブンスター)を探して購入する。
お釣りと商品を受け取って階下へ戻る。

大したことはない。
私がおつかいをしたことがないのは
暮らしている場所や母親が買い忘れをしないという条件があるせいであって
私の能力が不足しているからではないのだ。

私からセブンスターとお釣りを受け取ったおじさんは
「ちゃんとお釣りもある。自分のおやつも買ったりしていない。大したものだ」
と言った。
曰く、自分の娘や親せきの子どもは
お使いを頼めばそのお釣りでお菓子を買ったりお小遣いを強請ったりするらしい。

バカにされている。
と思った。

私は頼まれたことを頼まれたままにやってあげただけだ。
本来、自分で買いに行くべき時間を私が買いに行くことによって
大人同士で喋る時間を得たい初対面のおじさんのために。

そんな感じで始まった食事会はもちろん楽しいはずはなく
酒が入った大人たちは私の目には更に感じ悪く映った。
多分、初めて経験する洋食のコース料理だったのではないかと思うし
多分、そこそこ美味しい所だったのだろうなと思うのだけれど、味については記憶にない。

覚えているのはコースの最後に出てくるデザート。
大人たちは赤ワインのシャーベットが、私にはバニラアイスが出てきた。
私は当時シャーベットが大好きだった。
シャリっとした触感と口の中からスッとなくなる感触は少し前に覚えたものだった。

父親はきっと、私の不機嫌に気付いていたのかも知れない。
大人たちと談笑しながらもいつもより私に気を配っていてくれたように思う。
普段の私は結構愛想のいい子どもだったはずなので
鈍い父親も気付かずにはいられなかったのかも知れない。

父親は私のバニラアイスを見て
「いいねぇ、バニラアイス」と言った。
「え、私シャーベットの方がえぇわ」
「え?そうなん?お父さんバニラアイスの方がえぇわ」
「交換する?」
「する?」
クスクス笑いながら悪だくみをしているような気持ちになった。

父親は店員さんに赤ワインのシャーベットにはアルコール分が入っていないことを確認して
私のバニラアイスと交換した。

交換したシャーベットとバニラアイスを一口ずつ分け合って
「やっぱりシャーベットの方が美味しい」と言う私に
「お父さんはバニラアイスが美味しい」と父親は笑った。

私はその場にいたおじさんもおばさんも好きになれなかったけれど
もうそんなことはどうでも良かった。

お父さんにも上手くやらなきゃいけない外面があるけれど
本当は私の味方なんだから。
そう、お父さんは私の味方だもの。
と思えたから。

車の運転があるからお酒を飲まなかった父親と一緒に家に帰ったら
出迎えてくれた母親に父親は言った。
「今日、おつかいできたんよ。見もしたことがない煙草なのにちゃんとできてた!」と。
「えー!すごいじゃん!」
という母親に
「そうだよ!だから今度パン買い忘れたら私が前田商店まで行ってあげるね!」
と胸を張った。

私の初めてのおつかいはそこでやっと完結した。

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