社会・環境システムの全体像と根っこを「観る」技術
1. システムを「観る」技術を磨く
皆さんは、「群盲象を評す」という言葉を聞いたことがありますか?
これは、インド発祥の寓話です。数人の目の見えない人たちが象の身体を触って「象とは蛇のようなものだ(鼻を触った人の感想)」「象とは柱のようなものだ(脚を触った人の感想)」と、それぞれに感想を述べ合う状況を引き合いに、物事のひとつの側面に触れるだけでは全体像は理解できないという教訓を伝えています。
わたしたちSIIFは、この「群盲象を評す」の教訓は、システムチェンジを目指すインパクト投資の世界にも当てはまる考え方ではないかと捉えています。システムチェンジ・ライブラリの別記事でも取り上げた通り、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)でシステムチェンジ投資の研究を行うジェイソン・ジェイ氏とTransCap Initiativeのリサーチ部門責任者であるジェス・ダジャース氏らは「インパクト投資は個別の投資案件で特定の対象に対して価値を出す側面では効果的であっても、社会構造のレベルでの変化をもたらせるかどうかには疑問符がつく」と述べています[Daggers et al., 2023]。
この指摘の文脈に関連して、アメリカのインパクト投資の実践知の開発と普及を担う業界団体である「Impact Frontiers」は、2023年に発行したディスカッション・ペーパーのなかで、インパクト投資家が社会・環境システムを分析して図示化する「システムマップ」を活用する意義について、以下のように紹介しています。
こうした議論を踏まえて、この記事ではシステムチェンジに取り組みたい投資家・事業者の方が、社会・環境システム全体に働きかける取り組みの前提となる「社会・環境システムの理解」を深めるための考え方を、SIIFが実際に行った「システム分析」の事例も交えながらご紹介します。
※この「システム分析」は、SIIFが考えている「システムチェンジ投資を行うための4つの重要アクション」のうちのひとつとなっています。詳しくはこちらの記事をご参照ください。
2. SIIFの考える課題構造分析とは
SIIFがシステムチェンジ投資の取り組みを始める際、「機会格差」「地域活性化」「ヘルスケア」の各領域でシステムチェンジを誘発するための事業戦略を「ビジョンペーパー」としてまとめ、発行しました。
そのビジョンペーパーのなかで、システムチェンジを誘発するための最初のステップとして実行したのが「課題構造分析」です。この取り組みは「システム分析」と同じ考え方で、ある特定の社会課題領域において、社会システムの構造上、何の要素・行為主体者(アクター)がどのように複雑に関わり合っているかを俯瞰的に捉える分析を行いました。この分析にあたってはシステム思考などの考え方を採用しました[SIIF, 2023]。
課題構造分析を行い、課題構造マップをつくる
SIIFが課題構造分析を行うにあたり、以下の通り、大きく分けて3つのプロセスを実施しました。
【課題構造分析のプロセス】
①課題全体の把握:社会課題が生まれる要因の因果関係をループ図[★1]を用いて整理し、課題が生じる構造の全体像の仮説を可視化。
②ファクトの確認:統計など公開情報のリサーチや課題領域のステークホルダーへのヒアリングを通して、課題構造の仮説の精度を磨く[★2]。
③絞り込みと詳細分析:課題構造全体を踏まえて、特に重要な領域に特化した詳細の分析。
★1-2──ループ図と課題構造の仮説の精度を上げるための考え方については、次の項目でご紹介します。
その結果、例えばSIIFの「機会格差」領域においては以下の課題構造マップ(システム思考における「システムマップ」の考え方と同義)を作成しました。この課題構造マップは、システムチェンジ投資の取り組みを行ううえでのシステムに対する理解をまとめたものとして活用されています。
また、課題構造マップの内容を簡単にご説明すると、SIIFは「機会格差」を「個人が獲得・アクセスできる資源(経済資本・人的資本・社会関係資本等)の格差により、望む人生を選び取る機会に差異があること」と定義しました。そのうえで、機会格差が生まれる要因とは決して個人の資質や努力も含めた自己責任によるものに限らず、家族や友人といった社会関係資本、国や企業による必要な支援の欠如といった制度資本の格差といった複合的なものだと分析し、SIIFの仮説を課題構造マップにまとめました[SIIF, 2023]。
SIIFは、システムチェンジ投資を行ううえで「システムの複雑さ」「多数の要因やステークホルダーの相互作用」「社会課題が生まれる構造・真因」について理解を深めるのが重要と考えて課題構造分析を行い、現在実施しているシステムチェンジ投資の取り組みの方針や投資ポートフォリオ策定に活用しています。
3. 課題構造マップをつくるための2つのツール
では、システムチェンジ投資に取り組みたい、あるいは関心をお持ちの投資家や事業者の方々が実際に課題構造分析を行う際に、特に重要で抑えておくべきツールや考え方(パースペクティブ)は何になるのでしょうか。
SIIFが3つの社会課題領域の課題構造分析(システム分析)を行った経験を踏まえると、社会課題が生まれるシステムの「複雑さ」を理解し、より深いレベルにある「真因」を捉えるには、「ループ図」と「氷山モデル」の考え方が重要になると考えています。
まず、SIIFが課題構造マップを作成する際、システム思考の「ループ図」の考え方を参考にしました。システム思考と学習する組織の考え方を用いたコンサルティングを日本で展開するチェンジ・エージェント社は、ループ図について以下のように解説されています。
SIIFは、このツールをシステムチェンジ投資の前提となる社会課題が生まれる構造の理解に活かす選択をし、それぞれの社会課題領域についての文献調査や有識者へのインタビューを通して、社会課題に関与する要素の洗い出し、因果関係と相互作用の可視化を行いました。
加えて、文献調査やインタビューを通して課題構造の理解を深め、課題構造マップの精度を上げる際には、システム思考の重要なフレームワークである「氷山モデル」を意識しました。
この氷山モデルは、表面上に見えている事象の根っこにある「行動パターン」「システムの構造」「価値観や文化、前提といったメンタルモデル」をより具体的に理解し、よりテコの原理が働く場所(レバレッジ・ポイント)を発見するのに有用だとされています[Meadows, 2008]。
一例として、氷山モデルを使った所得格差の掘り下げ方(の一部)を紹介します。
まず、所得の格差それ自体は、表面上に見えている事象でしかありません。その事象を深堀りする際に、例えば所得の格差はどういう「パターン」のときに表出しやすいのか(地域、性別、職業、家庭環境等の変数に違いはあるのかなど)、そのパターンはどういった「システムの構造(例:雇用形態や雇用主から提供されるキャリア機会の有無、リスキリング支援、家族や地域での助け合いの有無など)」によって生み出されているか、という風に階層別に要因の仮説を立て、検証していくことが重要です。
そして、もっとも深いレベルには、そのシステムの構造を生み出している「価値観や文化、前提(メンタルモデル)」が存在します。
これは例えば、核家族化や地縁の希薄化により、何らかの理由で経済的・社会的な苦境に立たされたときも他者や支援サービスを頼ることが難しい、あるいは頼れない気がしてしまう「無意識の前提」や自分のことは自分でやるべきだという「自己責任を重視する風潮や世間の空気」が強化された結果によるものと仮説を立てることができるかもしれません(実際に、SIIFの機会格差領域の取り組みでは、「脆弱性」を包摂する取り組みが多様に存在する環境づくりが、課題解決のレバレッジ・ポイントになるとの仮説を立てています)。
上記はあくまでもSIIFがシステムチェンジ投資に取り組むうえでの第一歩として行った実践をもとにしたご提案に過ぎませんが、システムそのものに働きかける事業や投資を行ううえでは、社会課題が生まれるシステムのなかでどのようなアクターが相互作用して全体像を形成しているか、その真因はどこにあるのかを学習し続けていく「実践知の更新」こそが要だと考えます。
4. システムチェンジを目指す投資家や事業者が、課題構造を分析する意義
最後に、システムチェンジを目指すインパクト投資家や事業者の方々がシステム分析を行う利点は何でしょうか?
冒頭でご紹介した「Impact Frontiers」は、インパクト投資家がシステムマップを活用することで、投資先の事業がもたらすインパクトをより広い視野で捉えられるようになること、ステークホルダー間の相互作用が可視化され、予期することが難しかったインパクトリスク(ポジティブ・ネガティブ両方)を発見しやすくなると述べています[Impact Frontiers, 2023]。
Impact Frontiersが作成した以下の図表(インパクト投資家がシステムマップを活用してセオリー・オブ・チェンジをつくり、投資先個社が直接的にもたらすインパクトを超えた「当該領域のステークホルダーへのインパクト」の仮説を表現したもの)は、その利点を表現しています[Impact Frontiers, 2023]。
こうした世界の実践知やSIIFが試行錯誤しながら取り組んできたことを踏まえると、システム分析を通して社会・環境システムを俯瞰し、課題の生まれる構造を理解しようとするプロセスそのものが、インパクト投資家や事業者が社会や自然システムについて「自分たちが何を知っていて、知らないか」「どういったバイアスを持っているか」「システムの全体像をどう理解しているか」を知り、学ぶ機会になると考えます。
そして、システムに対する理解を広げ、深めることが課題の根本的・構造的な解決に向けて介入すべき点「レバレッジ・ポイント」の特定につながると考えています。
冒頭の「群盲象を評す」の寓話の教訓に学ぶかのごとく、資金の出し手側が自分たちの立場からは見えていないひと・もの・ことや、それらのダイナミックな相互作用を認識し、理解を深めること。
インパクト投資家と事業者はシステム分析を続けていくことで、ある取り組みがシステムに対して生み出しうるインパクト(ポジティブ・ネガティブ両方)の可能性を、それぞれの視野や立場の限界を超えて見立てられるようになっていくのではないでしょうか。
この記事では、システムチェンジ投資の第一歩としての「システム分析」をご紹介しました。システム分析は、システムレベルでインパクトを生み出す計画をつくるツールである「セオリー・オブ・チェンジ」などと非常に関連度が高く、以下のコンテンツもよろしければご参照ください。
Reference
1. Systemic Investing for Social Change. Stanford Social Innovation Review.[Daggers, J., Hannant, A. & Jay, J., 2023]
2. ビジョンペーパーの制作過程と記録(VPログ)[SIIF, 2023]
3. ビジョンペーパー【機会格差】[SIIF, 2023]
4. システム思考のツール ループ図 [有限会社チェンジ・エージェント]
5. Thinking in systems: A primer. chelsea green publishing.[Meadows, D.H., 2008]
6. Systems Thinking Resources THE ICEBERG MODEL[The Academy for Systems Change]
7. Getting Started with Systems Mapping & Impact Management[Impact Frontiers, 2023]
8. Participatory development and analysis of a fuzzy cognitive map of the establishment of a bio-based economy in the Humber region. PloS one, 8(11), p.e78319.[Penn, A.S., Knight, C.J., Lloyd, D.J., Avitabile, D., Kok, K., Schiller, F., Woodward, A., Druckman, A. and Basson, L., 2013]
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