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映画感想:スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(ネタバレ有り)

 思いきりネタバレしてるので、未見の方は絶対に見ないでください。 




 こんなこと言うのも何だが、きちんと感想を書ける自信がない……。
 全部書き出すと、絶対にきれいにまとめきれず、ダラダラと長ったらしくなってしまうだろう。
 それだけ、スパイダーマン映画と僕の間には、切りたくても切れないものがある。スパイダーマンは、僕が恐らく、初めてアメリカのヒーローとして認知し、アメコミヒーロー映画というものを認知し、CGを使った超人アクションというものを認知し……。
 とにかく、スパイダーマン映画は僕の中でありとあらゆる〝初めて〟を教えてくれた映画シリーズなのだ。
 サム・ライミ三部作は言わずもがな、アメイジングスパイダーマン二部作もそうだ。ちょうど要らない知恵を仕入れ始めた頃に観た映画で、初めて映画のリメイクについてあれこれと考えたものである。いっちょ前に、サム・ライミ版と比べると~なんて話を友達としたりもした。

 こう言うとまた語弊があるかもしれないが、僕はスパイダーマン映画はどの作品も好きである。サム・ライミ三部作は完全に血肉になってしまっているし、マーク・ウェブ二部作も2を見るまでは1が微妙だったが、2を見た途端に両方とも好きになった。どこがいいなんて言い出したら、キリがないので書かないが。

 それで、トム・ホランドのMCU版だが、それなりに楽しく見てはいたものの、やはりどうしても先輩方の顔がちらついていたのが本音だ。
 監督のジョン・ワッツは傑作しか撮らない男だと思っていたし(実際そう)、キャスト陣もみんなハマっていて、そのアンサンブルが観ていて楽しかったのだが、どうしてもユニバースに属してしまったが故に、スパイダーマン映画としてうまく捉えることができなかったのだ。
 MCUは今でも追いかけてこそいるが、それこそMCUスパイダーマンの初出演であるシビルウォーの辺りから、少々シリーズに対して疲弊というか、辟易し始めていた。だから、ホーム・カミングもファー・フロム・ホームも、傑作だとは思うが、最初から最後までスパイダーマンの映画としては認識できなかったのだ。もちろん、それがMCU式の作劇なのではあろうが……。

 ところが、今作は……。もう、ありとあらゆる感情が押し寄せてきて、映画館で息を呑みっぱなしだった。かつてテレビで、そして映画館で見てきた歴代のヴィランたちに、歴代のスパイダーマンたち……。アンドリュー・ガーフィールドが現れた時、本当に開いた口が塞がらなかった。造形としては、一番好きな2のスーツで来てくれたのもあるが、何より2の最後で辛い目に遭いながらも、ヒーローとして再起したピーターにまた会えたのが……。最高潮のまま死んだロックスターがひょっこり現れたような、そんな感じだった。
 そして、トビー・マグワイアのピーターが現れた時なんかは……。最早、自分の血肉の一部が映画の中に現れたかのようで……。一挙一動する度に、感動しっぱなしだった。

 そして、映画の造り自体も見事だった。これまでのスパイダーマン映画の全てを救済する、いわばスパイダーマン映画シリーズのフューチャー&パストのようだった。歴代のピーターたちだけじゃない。魅力の薄い人間など一人もいない歴代ヴィランたちすら、大いなる力には大いなる責任が伴うの信条で、救済の手を差し伸べるなんて、あまりにも優しすぎる。

 このノー・ウェイ・ホームで、僕は初めてトム・ホランドのスパイダーマンを、一人のスパイダーマンとして認識できた気がする。
 最後の最後、トムのピーターは、原点ともいえるピーター・パーカーの、スパイダーマンのオリジンへと回帰していくのだ。誰からも功績をたたえられることなど無く、孤独にスーツを縫い、警察無線を傍受して、窓から人助けに繰り出していくその姿は、正にこれまで見てきた映画のスパイダーマンだ。僕の中でトム・ホランドは、決してMCUという枠に収まることのない、三人目のスパイダーマンとしてずっと認識していくだろう。

 ただ、ここまでやったのに、これで終わりというのはあんまり過ぎる。辟易こそしているが、トム・ホランドのスパイダーマンには、必ず幸せなラストを用意してほしい。
 全員を救い、元の世界に帰し、そして自分だけは帰る場所を失くすなんてかわいそうすぎるじゃないか。これが立派な最期でもいいが、決してこれが終わりでなくてもいいはずだ。マット・マードッグだっているのだ。歴代のピーターが幸せになったように、トムのピーターにも救いの手があってもいい。

 これからどうなるのかは知らないが、とりあえず、これまでのスパイダーマン映画を救ってくれてありがとう、ジョン・ワッツ。
 サム・ライミ、今度はあなたの番だ。楽しみにしてるよ。

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