マインクラフト エンドポエムの考察

こちらアメブロに掲載していた記事ですが、多くの方に読んでいただきたくこちらにも掲載します。

大人気ゲーム、マインクラフトのエンダードラゴンを倒した後のエンディング、そして長いエンドポエム…

何度も見ていたのですが、意味はよくわかりませんでしたが、この度私なりに納得できる解釈ができたので、ここに書かせていただきます。

(あくまで私なりの解釈ですので、本当のところは詩の作者ジュリアン・ゴフ先生とノッチさんに聞かないと永遠の謎ですが…)

エンドポエムとは、エンダードラゴンを倒した後ポータルに入ると表示される、二人の語り手の対話形式で示される詩です。

まずエンドポエムの概要と和訳についてMinecraft Wikiをリンクしておきます。

https://minecraft-ja.gamepedia.com/エンドポエム

 このリンク先にも書かれているようにエンドポエムの解釈には一元論の観点が必要なようでして、私は特に哲学者バールーフ・デ・スピノザの汎神論がもっともエンドポエムに含まれている内容に近いのではないかと感じました。

スピノザ、汎神論についてもWikipediaのリンクを張っておきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/バールーフ・デ・スピノザ

https://ja.wikipedia.org/wiki/汎神論

Wikipediaの哲学記事はなかなか堅苦しいので、私なりの説明をします。

汎神論とは簡単に説明すると「この世界のものすべてが神である」という思想のことです。

この神とは一般にイメージされる人型の神様ではなく、どちらかというと自然や宇宙そのもの(森羅万象)のようなものです。

この神についてわかりやすいようこの記事では神(森羅万象)という表記とさせていただきます。

そして我々人は自分とその他(ほかの人や自然)を別のものとして考えてしまいがちだが、本当は宇宙も地球の自然も、そして他人も、自分と繋がっておりすべては神(森羅万象)の一部である。といった発想をしています。また人は個体としての自我をもっており、自分を個人として認識していますが、実際は神(森羅万象)の一部であるため自分を通して神(森羅万象)を知ることもできるという考え方もできます。

このような思想からエンドポエムを解釈していきます。

印象深い一節を挙げて説明していきます。

二人の語り手を便宜上 A、B とします。

A プレイヤーはやり遂げた。100万の他の人たちと、[文字攪乱]の集まりで真の世界を彫刻するために。そして、[文字攪乱]で[文字攪乱]のため  に[文字攪乱]を構築した。

B プレイヤーにはそんな考えは読めないな。

A そう。まだ最高の高みに到達していない。それは、ゲームでの短い夢なんかではなく、人生の中の長い夢で達成されるはずだ。

これは人生の長い夢(人間としての自我ある間)に神(森羅万象)の物語を作っているということだと思います。プレイヤーにはそんな考えは読めないな。というのはまさに自分が神の一部となって物語を作っている自覚がないということです。

B プレイヤーは、我々が愛していること、宇宙の森羅万象は寛容であることを知っているのか?

A 時々、プレイヤーは思考の雑音を通して宇宙を聞いている。Yesだ。

これはまさに本当は宇宙も地球の自然も、そして他人も、自分と繋がっているということを言いたいのだと思います。そしてそのため自分を通して宇宙などの森羅万象を知ることもできるということです。

B 我々とは誰だ?かつては我々は様々な名で呼ばれた。山の霊、父なる太陽、母なる月。先祖の霊、動物の霊。ジン(精霊)。ゴースト。グリーンマン。のちに、神、悪魔。天使。ポルターガイスト。エイリアン、地球外の物質。レプトン、クォーク。言葉は変われど、我々は変わらない。

これは話している存在が神(森羅万象)であることを言っています。

A 我々は宇宙(森羅万象)。我々は君が君でないと思っているもの全てだ。君は今、肌や目を通して我々を見ている。そして、なぜ宇宙は君の肌に触れ、君に光を照らすのか?プレイヤー、君を見るため、君を知るため、そして、知ってもらうためなんだ。さあ、話をしよう。

我々は君が君でないと思っていることの全てだ。とはまさに人は自分とその他(ほかの人や自然)を別のものとして考えてしまいがちだが、本当は宇宙も地球の自然も、そして他人も、繋がっているということを表しています。そしてこの語り手(A、B)も繋がりの中の存在であるということです。

そのあと、語っている存在がたとえ話のようなことを言います。

A 時に、君は溶けた岩の回る球体の薄皮に立ち、自分を人間だと考えた。その溶けた岩の玉は、自身の33万倍も巨大な高熱ガスの玉の周りを回っていた。それらはあまりに離れていて、間を渡るには光でさえ8分かかるほどだった。その光は星からの情報であり、1億5000万キロメートル先から君の皮膚を日焼けさせることができた。

このたとえ話はまさにプレイヤーの現実の世界(地球)での出来事です。

A 時にプレイヤーは、平坦で無限に広がる世界の地表で、鉱夫になることを夢見ていた。太陽は白く四角かった。昼間は短く、たくさんやることがあった。そして死は束の間の不便だった。

こちらはマインクラフトの世界の話です。

この二つをあえて同列に出したのは、現実もゲームも、神(森羅万象)の一部(プレイヤー)が見る夢だと言いたいからではないかと思います。

B そしてゲームは終わり、プレイヤーは夢から目覚めた。そしてプレイヤーは新しい夢を見始めた。そしてプレイヤーはまた夢を見た。もっといい夢を見た。プレイヤーは宇宙だった。プレイヤーは愛だった。

プレイヤーの見る新しい夢とは現実の事ではないかと思います。これも神(森羅万象)の一部が見る夢ということではないでしょうか。

そして最後プレイヤーは宇宙だった。愛だった。というのは完全に、本当は宇宙も地球の自然も、そして他人も、自分と繋がっているということを言いたいのだと思います。

このような観点で読んでみたまとめとしては、マインクラフトのエンドポエムはノッチの哲学のようです。

プレイヤーという人間が、マインクラフトというゲームの世界で夢を見ます。このプレイヤーとは神(森羅万象)の一部であり、現実の世界で人間として生きるという夢を見ます。それらの活動は神(森羅万象)の物語の一部となっていきます。またプレイヤーは神(森羅万象)の一部であるので、もともと神から愛されており、愛そのものであるし、時として神(森羅万象)の声を聴くこともできます。

このような解釈ができると思います。

マインクラフトの作者ノッチが、ジュリアン・ゴフの短編「The iHole」を読んで、彼こそエンディングの詩を書くのにふさわしいと確信したそうです。しかし現在>「The iHole」は公開していないようで、どのような内容かは確認できませんでした。近未来を舞台としたSFのようですが…

「The iHole」のなかにも汎神論的なメッセージがあって、お互いに汎神論的世界観を持っていることが分かったからこの詩が作られたのかもしれません。

ちなみにこの汎神論 かのアインシュタインも信じていたそうです。

以上が私のエンドポエムの考察でした。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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