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覚書と感情がずらずらと。

初デートについて記事を書きたいのですが、思い返したり、記録を読み返したりする度に涙腺崩壊して中断してしまうので、ちょっと時間を置いてからゆっくり書きたいと思います。

というわけで思い出したことを書き留める。


結婚してすぐのころ、主人は、結婚を祝って集まってくれた人の前で、スピーチした。
私と一緒になったことを、「こんな奇特な人と一緒になれて嬉しい」というような言い回しで述べた。

よくさらっと言えるよな~と感心しつつ、奇特な人?どういう意味?と思ってて、後で調べたことがある。


奇特な人とは、
本来、言葉や行動などが優れていること、褒められるような素晴らしい行いをしている人などを意味する言葉。


...らしい。



私としては、主人はとても話しやすくて、ありのままをさらけ出しても受け止めてくれて、信頼できる人。
一応好きになったからには、ちゃんと病気も理解したうえで、覚悟決めて大切な契約を結んだのだ。
だから、決して優れてなんかない。
自分たちしか経験できない大変なことも沢山あるとは思うけど、ただ私を好きでいてくれる人のそばにいて笑っていたかっただけ。


結婚する前、いろんな人から忠告のようなことを言われたりした。
調べても、筋ジスの人の結婚はほとんど出てこない。
そして、最初は夫婦として一緒になっても、そのうち介護する側される側だけの関係性になってしまいかねないリスク。それは、わたしも考えた。

1、2年の短い結婚生活かもしれない。
それでも1日1日を好きな人と過ごせるならそれが一番じゃないか、と。
主人が亡くなった後、自分がどれくらい耐えられるか分からない、でも、主人のためなら頑張ろうって思える。
誰と夫婦になっても、いつまでも五体満足健康とは限らない。それが、たまたま最初から主人にハンデがある。それだけのこと。
初めは、そんな気持ちだったと思う。

最近は、介護に看護に追われがちで私の身体もSOSを出し始めていた。
そんな日々でも、なんとなく毎日感謝や好きを伝えてないと気が済まなかった。翌朝、急変してる可能性があることを考えながら毎晩眠りについた。
だから、昨年は特に、寝る前におつかれさま、ありがとうを言うようにした。見た感じ私が動いてばかりだったけど、主人のおかげで生活が成り立っていたのだから至極当然のことである。

って書いたまま、放置してた、、、

最近は、まれにある丸一日休みの日は必ず泣いている。まだ泣いてるから大丈夫。なのだけど、このいろいろこみ上げてくる思いを誰にも言えないつらさが追い討ちをかける。

自分の両親には、もうほぼ縁がないので話せない。
主人の両親に話せば、自分たちのせいで~って思わせちゃいそうで話せない。
カウンセリングについても調べてみたが、カウンセラーは赤の他人なので、一から話すのめんどくさいし、こっちが壁を作るのでありのまま話すことは難しい。


結局涙が出なくなるまで泣くのがいちばんかな。

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