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だからぼくはてんさいしゃしんかをめざす

「はいチーズサンドイッチ!」

写真を撮る時に、僕はこう声をかけて撮影をする。
おそらく周りの友人はいつもふざけている栗田のことだから、
なんかてきとうなことを言っているんだと思われていることだろう。

実はこのかけ声、僕が尊敬してやまない
てんさいしゃしんかのセリフだ。

まずはてんさいしゃしんかについて説明しておきたい。
そこを説明しておかないと、急に天才写真家を目指すなんて言い始めた
トンチキなヤツだと思われるに違いない。


てんさいしゃしんかとは

SFC用ソフト「MOTHER2 ギーグの逆襲」に登場するキャラクターだ。

©️HOBONICHI

主人公たちの冒険の道中に突然どこからか颯爽と現れ、
自分は「てんさいしゃしんか」だと名乗り、
冒頭のセリフを言って記念写真を撮りどこかに去っていく。

主人公たちが未成年だということを考えると、
現代社会ならほぼアウトかもしれない。

主人公の家の前から始まり、洞窟の最深部や砂漠のど真ん中、高級レストランの店内や果ては魔境にまで。
さらには仲間が全滅していようが、砂漠で日射病になっていようが、ユーレイに憑かれていようが、頭にキノコが生えていようが、突如目の前に現れ、主人公たちの気持ちを慮ることもなく撮影をする。

そのためうっかりしていると、仲間たちが全滅をしているなか、主人公だけがピースをしているというシュールな記念写真になることもある。

おそらくこのてんさいしゃしんかは、
主人公たちに勝手に同行し、見守りという名の監視をしながら、
最高のシチュエーションがくる時をひたすら待っているのだ。

主人公からすれば、世界を守るために死ぬ気で闘っている最中に、空気を読まず登場をするこの男を、不謹慎だと感じているかもしれない。

でも彼はカメラマンではなく写真家なのだから、それでいい。
むしろそうでなくてはならないのだ。

カメラマンと写真家

©️KazuhoKurita

皆さんは写真家カメラマンの違いを考えたことはあるだろうか。
といっても明確な答えはなく、写真業界の人間は各々の価値観で使い分けたり、それを考えることすらナンセンスだと思う人もいる。

一般的にカメラマンとは、依頼者がいて、依頼者の望む写真を撮影をして報酬を貰う職業。写真家はカメラを媒体にして自己表現をする人。といったところだろうか。端的に言うとカメラマン技術者写真家芸術家、というイメージを持ってもらうのが分かりやすいと思う。
このあたりはあくまでも一般的な説明なので、僕は責任を持たない。

僕自身の職業はカメラマンで、プライベートでは手話を撮影する写真家として、そこを明確に分けて活動をしている。というのもカメラマンと名乗れるほどの技術を習得していると思っていないので、自信を持ってカメラマンと名乗れないでいる。一方で写真家としては、例え下手であっても表現したいものが明確にあり、そのために日々努力を重ねている。

そんな僕だからこそ、このふたつについて考えてしまう。
そして僕の中で、このふたつの違いが少しずつ見えてきた。

人の幸せか自分の幸せか

©️KazuhoKurita

カメラマンとは写真で人を幸せにする人たちであり、
写真家とは自分のために写真を撮る人たちである。

カメラマンは先ほど書いた通り、依頼者がいて、依頼者の望む写真を提供することで、依頼者自身やその写真の行先で誰かを幸せにしたり、学びを提供したりできる。そして誰かの望むものをカタチにするためには、高い技術や経験、そしてコミュニケーション能力が必要となる。

そして問題の写真家は、二義的には誰かのためであることはあるが、一義的には撮りたいから撮るというスタンス。つまり自分が好き勝手撮ったものが、結果的に誰かを幸せにしたりもするかもしれないし、もしかしたら不幸にする可能性すらはらんでいる。

その時はその時しかないのだから

©️KazuhoKurita

てんさいしゃしんかの話に戻す。
彼は主人公たちに頼まれて撮影しているわけではない。
表に出ることのない主人公たちの闘いの記録を撮りたいから、頼まれてもいないのに主人公たちに同行し、自分が撮りたいと思う美しい瞬間を狙って颯爽と現れるのだ。仲間が倒れていたり、頭にキノコが生えている状況ですら、彼にとっては愛おしい記録なのだ。もしかしたら主人公たちもてんさいしゃしんかの想いを知っているから、疲れていてもピースサインをするのかもしれない。

そして彼の撮影した写真は、エンディングで見ることができる。
楽しかったこともつらかったことも、全てが記録として残っている。
彼の写真を見ながら、冒険の記憶が蘇る。
もしかしたら思い出したくない記憶もあるかもしれない。
でもそれはあくまで結果であり、未来のことは誰にも分からない。
彼自身はそんなことはつゆ知らず、次の現場に旅立っているはずだ。
彼は写真家だから。

それでも写真家として生きていく

©️KazuhoKurita

僕は手話の写真、そして人の写真を撮る。
仲間が疲れている時や、こんな場所でと思われるようなところで写真を撮ることもある。それでも僕にとっては、その瞬間瞬間が残していきたい記憶だから、それがエゴだと分かっていながら迷ってもファインダーを覗く。

疲れていても「あんたならしょーがない」と、
ピースサインをしてもらえるような写真家を目指して、
それでも、これからも、想いを発信し続けていく。

「一緒に」という意味の手話
©️KazuhoKurita


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