Day6,「Rodent girl」 Inktober2020
先日、友人を呑みに誘ったら、数刻経ったのち、”ごめん、家に帰ったらカレンダーに「ハロウィン」って書いてあった!”とリスケの連絡が入った。デキ婚で生まれたばかりの子供だ、初年度嫁さんともども楽しんでいるのだろう。呑みの約束は出来なかったが、なんとなく温かい気持ちになった。
ハロウィン、少し経てばクリスマスも正月もやってくる。友人の事は置いておいて、バレンタインも旧正月も端午の節句もリオのカーニバルも、なんでもゴチャ混ぜの日本人は、時々意味や本質を本当に理解しているのかどうか、不安になる事がある。僕たちが信じてるものって結局、一体なんだろうね。
幼い頃、祖母の家に行くと、手塚治虫の全集漫画が何故か一揃いあった。プライムローズや海のトリトンなんて、あまり話題に上らない名作もあれば、火の鳥や七色いんこ、ブラック・ジャックもそこで読んだ。今でも、火の鳥の各場面は、べったりと脳裏に焼き付いている。溶鉱炉に次々落ちていくロビタや、生死の境から戻ると生物が全て枯れた樹の様に見える男、乱世編の弁太の最後、八百比丘尼のもとに集まる妖怪たち。
中でも、太陽編は不思議な程に、細部まで忘れていない。仏教伝来により迫害される土着の神々が、なんちゃら目天どもの手により空に巻き上げられ、どしんどしんと岩のように固められて叩き落される。狗族の娘の美しさと、別れの切ない程の寂しさ、そして関係なく思えた未来の世界での邂逅は、今久しぶりに読んでも、色褪せないものだ。
太陽編の頃、宗教は政治の一環だった。人々を統治しやすく、まとめやすくするために使われた宗教は、今や入り乱れ、基本的には政治も統治も、統一感や団結すら関係のない混沌に思える。だがそれなのに、混沌の中で日本人は、足並みを揃えて示し合わせた様に混沌を祝っている。不思議で仕方がない。
結局僕たちは、なあんにも信じちゃ、いないんだろうか。国や政治や、自分自身ですら、信じてはいないんじゃなかろうかと、じきハロウィンの毎年、思うのだ。
RODENT
《動物》名C齧歯げっし類(◇ネズミ・リスなど)
━━[形]齧歯類の;〈歯が〉かじるのに適した
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