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「青人」 ~祖父の言葉を胸に~

皆様お世話になっております、シグマと申します。
ポストでもお伝えしましたが、私の祖父が亡くなりました。95歳の大往生でした。
木曜朝から授業のため、葬儀が終わってすぐ地元を発ちました。
現在帰宅し、祖父との思い出を振り返りながらこのnoteを書いております。
忘れないように何かしらの形で残そうかなと思ってね💦

祖父は、一言でいうと厳しかったですね。 会うたびに「お前が人として足りないものは何か」とか「教壇に立つものとしてこうあるべき」とかとにかく厳しい言葉を自身の経験を交えて話してくださってました。毎週宿題という形で、新聞の切り抜きが送られてきてその記事に関する個人の意見を送るよう指示もありました。そして送ってバッサリ全否定までがセットw (あぁ、俺ってこんなダメな人間なんやなぁ・・・)って祖父と別れてから打ちひしがれてましたね。
でも、祖父は本当に自分にも厳しい方でした。
祖父の年齢で分かるかと思いますが、祖父は太平洋戦争で徴兵されました。そして、原爆で家族を全員失っています。終戦後、その家族の遺骨を探して爆心地を歩いたこと・警察予備隊(今の陸上自衛隊)に入隊したこと・頼る者がいないため祖母と結婚するまでずっと一人で生きてきたこと、壮絶な人生を歩まれていました。 そうした経験があるため、お会いすると明らかに周りの人と違う凄みというか貫禄というものを感じておりました。特に戦争や平和に関する話で迂闊な発言は誰であろうと許しませんでしたね。高校時代に「原爆ドームを知らない同級生がいる」と今の平和教育をテーマに家族と話していたら、「そいつの所に今すぐ連れていけ、俺がうっ叩いて身体に辛さを叩き込ませてやる」とすごんできて本当になだめるのに苦労したし、その時の目は今でも忘れられないです。まぁ僕も1度原爆ドームを知らないことをネタにしていた人間を見て頭に来たことがありましたが、これが時代の変化による風化の影響と少し割り切っている部分があります。

閑話休題

でも、祖父は優しかったです。本当に。いろんなエピソードがあり過ぎて。とにかく色んなものを貰いました。そしてどんなことだろうと私の成功を手放して喜んでくれていました。学生麻雀で地方大会優勝して全国に行ったこと、ゲーセンの大会で優勝したこと、数学で全国1位取ったこと、体育祭のリレーでアンカーに選ばれたことetc… 教育学部に進学を決めた時は「何年も寝かせてた秘蔵の酒を開けるか」と上機嫌でしたし、進学後帰省しては教育や若い世代への戦争の伝え方をテーマに議論することが多々あり、「お前もここまで俺に意見を言えるようになったか」と褒めてくれたのは嬉しかったですね。まぁ、今思うとまだまだ未熟でしたけどね。それに、フツー自分に足りないものが何かなんて教えてくれませんって。自分なりにがむしゃらに生きて様々な成功や失敗を積んで学んでいくものですから。正直今の自分があるのは間違いなく祖父のおかげです。

最後になりますが、タイトルにある「青人」 これは私が成人した時に祖父から頂いた成人祝いの封筒に書いてあった文字です。辞書で調べても当然出てきません、祖父の造語です。この言葉 青という字には「穢れのない」という意味がある、故に穢れのない純粋な心で自分らしく真っ直ぐ生きよというメッセージが込められていました。貰った当時は本当にうちのじいちゃんはすごいなと・・・感服の一言でした。それから10年が経とうとしています。そんな人間に少しでも近づけているでしょうか。まだまだやな、もっと頑張らなきゃなと、そう思った数日でした。
青人、この言葉を胸にこれからも自分らしく、人生を楽しんで生きていこうと思います。日記終わり! 改めておじいちゃんありがとう!!ゆっくり休んでね。

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