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20240428 変わりたくない



 私は、今も昔も将来の夢なんてものは持ち合わせてもいない癖に、自分自身のことを勝手に夢破れた人間と誤認している。
 夢破れた人間でありたかった。夢を持てるような自分の軸を持っている人間になりたかった。しかし自分の軸を持てていない私は、被害者ヅラしていたかった。自分の能力不足の原因を他に求めようとしていた。
 将来の夢という言葉を見る度に、自分が小学生6年の頃、父親と散歩中に話した情景が思い浮かぶ。父に、「将来の夢はあるか」と問われた。当時少年野球チームに所属していた私は、絶対になれないし、なる気もないけど、周りの友達が言っているという理由だけで「一応、プロ野球選手」と答えた。一応とはなんだ、本当になんなんだ。(いくら自分のこととは言え)小学生6年生に腹を立てても仕方がないが、決断から逃げている、本心から逃げているのが見え見えである。そして、父からもそんなようなことを言われた。
 そして、そんな自分から生まれ変わりたくないまま、高校を通り過ぎた。教育学部を大量に受けた中で、唯一受けた法学部に合格し、特に考えずにそこへ進学、変わらず「夢とか成長とかしょうもな」精神で、法学部生としてはありきたりな業界に就職した。
 今でも成長、という言葉を聞きたくない。私の精神は、中三辺りで成熟したものだと勝手に思っていたかった。これらの思考の源泉はよくわからない。落ち着いているねだとか、後輩というより先輩っぽさがあるよねだとか、そんな言葉、周りの評価の期待を裏切りたくないだけなのか、なんなのか。不明だ。

 さて、ここまで全て書きなぐりで全く脈絡がない日記となっているが、今回のオチ。私はヨルシカが大好きだが、そんな大好きなヨルシカの一番好きなアルバム「だから僕は音楽を辞めた」に自己投影する自分が本当に気持ちが悪い。同アルバムは将来の夢、とはちょっと主題が違うかもしれないが、なんか、こう、ヨルシカ全体に通ずる(と私は思っている)芸術家の苦悩、みたいな側面に共感してる自分が嫌。自分に軸がない癖に。

 推敲無し、内容に矛盾が溢れていたり、誤字脱字があったりしそうだけど、もういいや。心なんて矛盾だらけだろうし。後日読み返した時にもう少し整理したいし、誤字脱字をなくすことにしよう。

 今年はもっと自分の心を知りたい。何故かいつもシャワー中にフラッシュバックする、頭を掻きむしりたくなるほどの過去のトラウマ?イベント?に向き合いたい。

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