12日の殺人:予告

はじめに
「□□□□□:予告」とタイトルにある記事はすべて予告を見た感想です。
映画本編の感想ではなく、予告の感想です。
その短い予告を見て、勝手に想像を膨らませてしまった記事です。
ですから、ここに書かれたものは、ほとんどの場合は的外れで、映画を知るためにはなんの参考にもなりません。

「ゾディアック」「殺人の追憶」を彷彿とさせる。
こんなこと言われたんじゃ、何がなんでも見なくては。
「ゾディアック」は見たことがあるような気もするし見てないような気もするけれど、「殺人の追憶」と同列に書かれているってことは、それなりの映画な訳で、記憶にないのは見てないからかもしれない(ゾディアックの記憶)。
そうはいっても、「殺人の追憶」は噂では聞くけれど、実は見たことがなくて、いつかは見たいなあと思っている映画のうちのひとつ。
この予告には興味をそそるセリフがあってたとえば「マスコミが興味を失っても操作は終わりではない」なんてもう最高。
毎日生活をしていると、いろんな事件や問題がメディアで流されて、一時期はどのチャンネルを回してもひとつの事件や問題ばかりが取り上げられているけれど、その事件や問題がメディアで取り上げられなくなったからと、解決したわけではない。
そして、事件や問題はメディアの視聴率のためにあるわけではない。
視聴率によって事件や問題の捜査が左右されるわけでもない。
このことは考えればごく当たり前のことだけど、実際にはメディアで取り上げられなかった事件や問題はもう終わったこと、解決したことにしてしまっている。
そう、たとえば今はメディアでは台湾の地震が大きく取り上げられているけれど、能登半島の地震の災害についてはあまり取り上げられていなくて、つい能登の人たちのことを忘れてしまっている。
街並みは今年の元旦のまま、復興の気配さえない。
話がずれた。

この映画はひとつの殺人事件を追う刑事の映画のようだが、被害者はひとり。
その事件を追う刑事は「(捜査を)続けてると憎しみでいっぱいになる」といい、捜査する人間の精神を蝕んでいく。
見ていると、こちらまで蝕まれそうだ。
きっと後味はあんまり良くないんだろうなと思いながらも見たくてたまらない。
監督はドミニク・モル、「悪なき殺人」の人だそうですが、こちらは未見。
まだ映画を見てもいないうちから、「悪なき殺人」も見たくなっている。

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