奥の横道:赤瀬川原平(と彼が過ごした家)

恥ずかしながら、ひと月前までは赤瀬川原平氏のことを西川良平氏とまちがえていた、というか同一人物だと思っていた。
X(旧Twitter)で、ある人に赤瀬川原平氏のトマソンを教えてもらい、トマソンや赤瀬川氏のことを色々と調べているうちに、西川氏とは別の人であることに気がついたのである。
いやぁ、それにしても赤瀬川氏はおもしろい。
というわけで、赤瀬川氏の本を図書館から借りてきた。
うちの市の図書館は、まぁ大体自分が読みたいなぁと思うような本はまず蔵書がなくて、多くの場合、近隣の市の図書館から借り出しを受けることになる。
が、さすがは赤瀬川氏である、ちゃんと蔵書があった(閉架書庫にではあったが)。
借りたのは「奥の横道」という本で赤瀬川氏が「日本経済新聞」に1997/4/13〜1999/3/28まで連載していたエッセイを集めたものである。
「奥の横道」良いタイトルだなぁ、赤瀬川氏らしい。
毎日少しずつ読み進めていくと45ページに「昔々のオネショ地点」というエッセイがある。
その昔、赤瀬川氏が住んでいた大分市の家の隣の家が写っている写真が載っている。

<奥の横道 P46 赤瀬川氏が住んでいた家の横の家>

こんな写真である。
手前の電柱を見ると、電柱に巻かれた広告の下の方に「ここは 大?」と書かれた文字が見える。
そして、電柱自体には電柱番号が書かれている(広告の「金池小学校前」という時の横)。
電柱番号ははっきりしないが「02? カ??1 15」と書かれていて、「026 カ 381 15」のように見える。
これらの情報をもとに、この電柱の位置を調べてみることにした。
まず、おおまかな住所である。
Wikipediaを見ると、赤瀬川氏は金池小学校を卒業していて、この金池小学校の近くで「大?」のつく地名はおそらく大手町だと思われる。
電柱に巻かれた広告にも「金池小学校前」とあることから、金池小学校の近くにある電柱だと思ってまちがいないだろう。
Googleマップで大分市大手町を表示してみる。

中央の白い地区が大手町である

この地区の中から、電柱番号「02? カ??1 15」(おそらく「026 カ 381 15」)を探し出せば、そこが赤瀬川氏が住んでいたところということになる。

今度はGoogleストリートビューを使って、大手町にある電柱を片っ端から調べていくことにする。
大手町にある電柱の番号には「サ」で始まるものと「カ」で始まるものがある。
「カ」で始まるものはそれほど多くなく、10本にも満たない。
しかし、所詮ストリートビューである、電柱番号がはっきりと写っているものが少ない。
なぜだか、真っ黒になっていたりもする。
そこで、電柱番号がはっきり見えないものは、「他の日付を見る」で過去の画像から電柱番号を確認することにした。
そして見つけたのがこの画像。

2022年10月の様子
ブロック塀の一部を取り壊してシャッターが取り付けられている

この画像でははっきりしないが、2013年2月の画像を見ると、2022年には写っている車庫のシャッターが作られる前の様子が見られ、ブロック塀の向こうの瓦屋根の家も見える。
そして、電柱番号は2017年6月の画像で「026 カ 381 15」が確認できる。

2013年2月の様子
ブロック塀とその奥にある瓦の建物が確認できる

現時点では、赤瀬川氏がエッセイの中で書かれている、昔赤瀬川氏が毎晩オネショを続けていた地面の上に立っていたはずのビルはなくなっていて、今はマンションの一部になっているし、境に立っていた棕櫚の木はなくなっている。詳しくは……赤瀬川氏が過ごした家

おもしろいのは、電柱に巻かれた広告で、赤瀬川氏が写した写真に写っている大川産婦人科は2013年にはデザインが変わり、大川産婦人科の住所が金池小学校前から大分駅・末広町2丁目へ、電話番号の局番も二桁から3桁へ変わっている。
おそらく、電柱とブロック塀だけはこのエッセイに書かれた当時のままなのだろう。

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