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三島由紀夫 50年目の”青年論”

NHKスペシャル「三島由紀夫 50年目の”青年論”」を見た。
番組をTwitterで知ってから楽しみにしていた。
三島由紀夫という男に、どこか惹かれるところがある。よくわからないが、何かに。

彼の作品をきちんと読んだことがない。
「荒野より」を興味本位で買ってみたが、実際読んでみるとあまり響かなかった。
しかし、惹かれる理由はあの「最期の事件」であるだろう。
2020年11月25日、あれから50年となる。

三島に惹かれる若者がいるという。
今なお、三島作品に惹かれる者が多いと聞く。
新宿の紀伊国屋書店が映る。「隠れた名作」が30万部売れたという。
その言葉の選び方、究極な言葉による表現。
物語のあらすじばかり追っていたのでは、三島作品の美しさを理解できないのであろうか。

彼を苦しめた強烈なコンプレックス。
幼少よりひ弱で病弱。20歳で軍に招集された時も高熱を出し、戦地へは行けなかった。
そんなコンプレックスから30歳で始めたボディビル。
仲間から誘われた「神輿担ぎ」で喜びの表情を見せていたことが、幼少からのコンプレックスを乗り越えたひとつの強烈な経験であったのだろうと思う。

ノーベル文学賞への想いも、彼の人生において大きな出来事であったに違いない。
近年発表された、お互いを尊重しあえる存在であった川端康成とのノーベル賞受賞についてのやりとり。
彼は川端へ賞を譲った、という解釈であると聞いたが、それでも三島の中にはノーベル賞への想いが深くあったのであろう。
美輪明宏さんに語った「君は強いね、どうしてそんなに強いんだ」という言葉。
周りの期待と自分の想い。やはり賞が欲しかったのだろうと思う。
「爆薬を作った罪滅ぼしのための賞」とは、美輪氏が三島を励ますための言葉だったろうと思うが、自分の作品が世界的に認められる証拠であるのだから。

「盾の会」とは、若者との対話を通じて、これからの日本を担う若者へのメッセージだったのかもしれない。
学生との対話の数々。それに影響を受けたという人が何人も当時の事を語る。
彼らへ与えた影響は大きかったことを見ても、三島の当時の想いと行動が大きな意味を持つといえる。
ここまで、三島の活動について全く知らなかったが、この番組や「盾の会」「三島事件」のウィキを読んで、ここでようやく三島由紀夫と東大全共闘との対話の映画を見ることができるようになったと思った。
是非見たい。

来年、三島が命を絶った年齢を迎える。
ここ数年、今までの若い時期に考え、行動してきたことが整理できるようになった。
今この時期に三島作品に触れることは、大きな意味を持つかもしれない。
まずは「荒野より」を読みかえす。
「青年論」も全部読んでみたい。

「青年は、どんな時代だってバカだ。ただ、あいまいな状態で考えた思考は、後になって必ず役に立つ」

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